愛、或いは夫婦生活の岐路に?
誰が?もしかしたら監督が?
映画を観ながら思った。どうして、こんなにも同じような映画を創るんだろう、と。
それも古代都市をまわるという設定だ。イタリア、ギリシャ。
それら古い町並み、古い遺跡に思うことがあるのだろうか?
バーグマンは倦怠期だった。スジョン氏は旦那がそうだったか、仕事に行き詰ってアバンチュールを求めてたんだったか?それでも毎日電話をするんだった。年取ったスンウ君とテランさんは一体なにが言いたいんだかよく分からなかった。さして美しくもなく、さして哀しくもない。こういう映画は皆そうだ。人生の黄昏のようだ。
誰が?多分、監督が。
山の上の桜はまだ全然咲いていなかった。
あの世の人達はこの桜を見ることが出来るんだろうかと思った。
そうして私は満開の桜の下、もう一つの願わくは を語った人を思い出した。
私たちは別れてからも幾度も会った。そのことにどんな意味があったか、そんなことはもう考えることすらない。考えても意味のないことだ。
私は色んな人に随分想われてきたし、そしてそのことがとても哀しかった。時に思い出せばきりがない。けれどそれだって今となればなんだろう?
早かったか遅かったかは知らないが、姉二人は夫を見送り、弟は大好きだった母の傍に眠る。
窓の外を花びらがひらひら散って、この娘はなんと幸せな子なんだろうと幸子と名付けられた娘がいるが、私は桜の花が咲く頃にか、花びらがひらひら舞う頃にか死ねたら最高だと思う。
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最終更新日
2018.03.26 21:35:37