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今日8月27日は私の父の命日です
7年前の1998年は非常に台風が多く、大雨の日が続き市内の阿武隈川の川が決壊し床下浸水などの被害が出た年でした 1998年はフランスでワールドカップが行われ日本も初出場した記念すべき年ではありましたが、私達一家にとっては忘れる事が出来ないつらい年でもありました 2月に母の7回忌の法要が東京で行われたのですが、もうその時には血液癌の治療で入退院していた父には出る元気はありませんでした 習志野にいる姉夫婦と私達で本郷のお寺で無事法要を終えましたが、その時すでにまさやんが検査に引っ掛かっていて入院する事が決まっていたのです 結果大腸癌と診断され、手術は4月1日に行われました 80%は人工肛門になることを覚悟して欲しいと云われての手術でしたが、ぎりぎりの所で人工肛門にはならずに済みほっとしましたが、手術後3週間は点滴だけで水も含めて口から一切何も入れる事が出来ませんでした 5月の連休前に退院しましたが、それから1ヶ月もしない内にこんどは同居していた舅が倒れたのです、肺癌でした 姑は重度の心臓病を抱えて何も出来なかったし、ひとり暮らしの私の父は抗癌剤の治療の為、ひと月おきの入退院を繰り返してましたので、ほとんど寝たきりになってしまった舅の世話を退院間もない夫と共にしながらこれではみんな倒れてしまうのではと思ったものでした 結局ヘルパーさんの薦めもあって舅は病院に入院し付き添いさんを頼みました 大雨の続く8月27日の昼過ぎ、父の入院する病院から危篤だとの連絡があり、東京の学校へ行っていた息子達と習志野の姉に電話しましたが間に合わず、最後を見届けたのは私達夫婦だけでした 父の遺言で葬儀などは全て本郷の菩提寺で行う事にし、こちらで仮通夜と火葬を済まし 姉夫婦と食事をしている時に舅の危篤との電話が入ったのです 命日は父が27日で舅が30日でした 舅の方は現役で仕事をしていた為、通夜から葬儀まで大がかりでしかも舅姑とも新潟 出身のため親戚が皆遠方から来て家に泊まり、私の父の死から1週間はもう何が何だかわからないまま過ぎていった年でした そしてその3年後にこんどは姑が半年ほど入院して亡くなり一昨年三回忌をし、昨年は私の母の十三回忌と私達ふたりの父親の七回忌を終え、今年初めて法事が何も無い夏を迎えたのです 東京へお墓参りには行けなかったけれど、今こうして書きながらあの日の事を生前の父の事を静かに思い出しているのです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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