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『片目のどじょう・上三川落城伝説』
澄んだお堀の水の中に、鯉がいた。 目を凝らしてみると、小さい魚のようなもんが、泳ぎ去っていった。 「めめっこいな~」 ほげほげ~ っと見入っちゃったっぺ。 古い場所や、昔からのこる地名には、面白い伝説や悲しい言い伝えってのがあるもんなんだけど、上三川城にもあんだよ。 上三川城落城に関わる、伝説なんだど。 ただな。途中で、変な伝わりかたをしたみたいでな。 内容が、まちまちなんだ。 歴史に残っている事実と、同じだったり、違うとこもあんだどもな。 まあ、このへんは伝説だから、ちょこっと目をつぶって、大目に見とこれね。 でな。どんな話かっていうとな。 《その1》「片目のどじょう」 慶長2年(1597)上三川城に、めんこい姫君がいたんだ。 真岡城主・芳賀高武、が嫁に欲しいって言って来たんだけんどな。 姫君には、好きな人がいたんで、ことわったんだと。 そこに宇都宮氏の、跡継問題が持ち上がったんだ。 で、養子をとるって話になった。 真岡城の芳賀高武は、反対派。上三川城の今泉高光は、賛成派。 意見が食い違って、揉め事になっちまった。 姫君のこともあって、怒った芳賀高武は、上三川城に夜襲を掛け、落城さしちまったんだっぺ。 姫君は、刃物で首を突いて、死のうとしたんだども、手元さくるっちまってな。片目を突いちまった。 その後、お堀に身を投げて、自害したんだと。 それ以来。 お堀のどじょっこは、みんな片目になっちまったって、言い伝えなんだ。 他には、姫君の婚礼の日に、高武が攻め込んできた、ってのもある。 最後もな。好きな武士と一緒に、お堀に身を投げた、って説も、あるんだど。 《その2》「片目のどじょう」 話の主人公は、姫君じやなくって、今泉高光の奥方さまだった、って話だべ。 あとの部分は、ほぼ同じ。 最後は、高光と供に、御堀に飛び込んだっ、てことになってる。 《その3》「片目の魚」 主人公は、姫君。 んで、内容は、ほぼ《その1》と同じなんだどもな。 攻め込んできた芳賀高武の軍勢と、姫君が一騎打ちするって話なんだ。 姫君は、なぎなたを振り回して、応戦。 片目を弓矢で射抜かれて「無念!」とか言って、御堀に飛び込んだんだと。 《その3》は、造り話だべな~。 せめて、姫君を守る武士、ってことにしとけばよかったのに。 これじゃあ、伝説じゃなくって、コメディ時代劇になっちゃーべ。 題名も「どじょう」から「魚」に変更されちまってるしな。 どじょっこも、魚だけんどな~。 だども、お堀の魚っつったら、鯉が思い浮かぶんじゃないかな。 そんじゃあ、だめだんべ~。 「当事者のどじょっこは、どう思ってっかな」 って、御堀の中を覗いてみたけんど、片目のどじょっこは、姿を見せてくんなかった。 鯉が、口をぱくぱくさせてるだけだったっぺ。 (栃木弁:注) めめっこい=かわいい(県北) めんこい=かわいい(県南) ほげほげ=ぼけっと どじょっこ=泥鰌 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
当時の城主の今泉と言うのは多分ですが宇都宮に縁が有り今泉町として町名が残ってます、多分宇都宮城の守りとして築城された物かと思います、今泉家と言うのは私の母方の先祖になります、母方の祖先の菩提寺として長泉寺が有ります、
白鷺神社に向かい直前を右方向に100メーター位行きますと左側に有ります、余談ですが今から60年近く前ですが方目のドジョウがいると言われた堀で冬になりますと氷が貼り良くスケートをして遊んだものでした、戦後、モノ不足で下駄底に割った竹を貼り付けて、滑ったものでした、又、城の中は平地で畑だった記憶が有ります、片眼のドジョウと言うのは伝説で実際には見たことも有りませんが、当時城攻めに合い落城、城主の無念を誰とも、言えませんが心の思いを表したものではないでしょうか、もうひとつの考えとしては亡くなられた人たちを静かに眠らせて上げたいという気持ちから、怖い所なので近寄らないようにとの人を、遠避ける意味を込めて言い伝わった伝説なのかも、一言お断りして置きますが、あくまでも私個人の私感としての論文ですし話も正確では有りません、御理解下さい (2013.09.08 20:56:48)
落合進四郎さん
こんにちは。ご訪問ありがとうございます。 今泉町というのは、聞いたことがあります。うろ覚えですが。 長泉寺も今泉家縁の場所なのですね。探すといろいろ縁のある場所が、残っているようですね。 全部の場所を回ることはできないかもしれませんが、貴重な情報、ありがとうございます。 >当時の城主の今泉と言うのは多分ですが宇都宮に縁が有り今泉町として町名が残ってます、多分宇都宮城の守りとして築城された物かと思います、今泉家と言うのは私の母方の先祖になります、母方の祖先の菩提寺として長泉寺が有ります、 >白鷺神社に向かい直前を右方向に100メーター位行きますと左側に有ります、余談ですが今から60年近く前ですが方目のドジョウがいると言われた堀で冬になりますと氷が貼り良くスケートをして遊んだものでした、戦後、モノ不足で下駄底に割った竹を貼り付けて、滑ったものでした、又、城の中は平地で畑だった記憶が有ります、片眼のドジョウと言うのは伝説で実際には見たことも有りませんが、当時城攻めに合い落城、城主の無念を誰とも、言えませんが心の思いを表したものではないでしょうか、もうひとつの考えとしては亡くなられた人たちを静かに眠らせて上げたいという気持ちから、怖い所なので近寄らないようにとの人を、遠避ける意味を込めて言い伝わった伝説なのかも、一言お断りして置きますが、あくまでも私個人の私感としての論文ですし話も正確では有りません、御理解下さい ----- (2013.09.09 23:11:23)
もう一つ城にまつわる話、大したことではないですが、この城の堀の水源ですが、いそっ川と言いまして白鷺神社の裏手からさらに坂登り今の日産自動車の側面に沿って、今は公園になっているようですが、湿地帯になっており、川に沿って歩いていきますとサギソウの群生地で又、食虫植物のモウセンゴケなども群生してました、ほかにも虫取りスミレも有ると言う事で小学生の頃、担任の先生と10人位で探しながら歩きましたがスミレは見つかりませんでした、良き思い出です、行き着いた先は龍ノ口とか聞いてましたが川の始まりで3-4メーターの崖のような所から、わずかでしたが精水が湧き出てました、又途中寺が有った当たりは浮島のような所が沢山有り、上で跳ねるとトランポリンのようにボコンボコンと揺れました、今ではどうなっているか解りませんが、当時は楽しい思い出でした
(2013.09.11 11:46:31)
落合進四郎さん
それって、磯川緑地公園のことだべか? 一度いってみたかったんですが、ぜひ、行かなくっちゃ。 行きたいとこリストに、いれとこっと。 昔の面影が残ってるといいな~。 >もう一つ城にまつわる話、大したことではないですが、この城の堀の水源ですが、いそっ川と言いまして白鷺神社の裏手からさらに坂登り今の日産自動車の側面に沿って、今は公園になっているようですが、湿地帯になっており、川に沿って歩いていきますとサギソウの群生地で又、食虫植物のモウセンゴケなども群生してました、ほかにも虫取りスミレも有ると言う事で小学生の頃、担任の先生と10人位で探しながら歩きましたがスミレは見つかりませんでした、良き思い出です、行き着いた先は龍ノ口とか聞いてましたが川の始まりで3-4メーターの崖のような所から、わずかでしたが精水が湧き出てました、又途中寺が有った当たりは浮島のような所が沢山有り、上で跳ねるとトランポリンのようにボコンボコンと揺れました、今ではどうなっているか解りませんが、当時は楽しい思い出でした ----- (2013.09.12 00:25:36) |