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「永野川と富田城」 (これは、皆川城の入り口付近から、本丸跡をみあげたとこだど) さてさて。 『川連城』からさらに『永野川』さ下っていくと。 こんどは『富田城』ってのが、出てくる。 『永野川』は『富田城』から、2キロメートル以上離れてっから すぐ側さ流れてるってわけじゃ~、ないけんど。 『富田城』付近の里人たちは、『永野川』さ利用してたかもしんないど。 『富田城』も『川連城』とおんなじ、平地の平城だったんで、 跡地は開発されちまってな。 本丸跡は、小学校になってんだって。 よくみれは、堀らしいでこぼこの地形も、残ってるらしいんだけど。 素人じゃ~、わかんねな~。 あと残ってんのは、『富田』っていう、町の名前ぐらいかな。 『富田城』は、嘉吉元年(1441)。 『富田成忠』が築城したって、言われてる。 東西、400メートル 南北、500メートル 、ほどあったらしいべ。 弘治3年(1557)。『富田城主・富田右近信吉』のとき、な。 『皆川俊宗』と戦って落城。 その後は『皆川城の支城』に、なったんだ。 『皆川俊宗』が隠居所にした、って噂もある、城なんだど。 『皆川城』が、廃城になった跡。 天正19年(1591)ごろに、な。 『富田秀重』が『富田城』を取り戻し、城主になんだけど。 慶長2年(1597)。 徳川家康の城取り壊し策で、廃城になっちまったんだと。 『永野川』には、ほかにも、緑地公園や、 『宮の桜』っつう、桜の名所があんだって。 あ、『宮の桜』は、栃木市皆川城内にあんだって。 栃木インターチェンジの近くって、書いてあっから、 『皆川城』から、近いんかな。 桜の季節になったら、城跡散歩といっしょに、 桜並木さ歩いてみんのも、いいかもな。 南下を続けた『永野川』は、『巴波川』と合流。 『渡良瀬遊水池』で、『渡良瀬川』と合流すんだ。 ちょど栃木県が終わって、 茨城県と埼玉県に入る手前んとこで、『永野川』は終ってる。 『永野川』は、栃木県だけの、川なんだど。 べつに、なんの意味も無いんだろうけど。 なんか意味がありそうな気がしちゃうな。 不思議だな~。 《参考》
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最終更新日
2016.01.09 00:35:03
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