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「鐘掘り池の伝説」 今日は池さ伝わる『鐘掘り池の伝説』さ、紹介すんど。 ええと。 これは、堀の上から見た『鐘堀り池』。 堀底からみたときは、水たまりみたいにちっこく見えたけど。 『二の曲輪』の土塁からみっと、水もたっぷり。 木の葉の影に、ひっそりと沈んで見える。 うん。この角度からみっと、伝説の池って雰囲気だな。 『鐘掘り池の伝説』 天文5年(1536)ごろの話だど。 『逆井城』は『逆井常繁』っつう殿さまが、城主さ務めてたんだ。 常繁にゃ、奥方(あるいは娘)がいてな。 一緒に『逆井城』さ、住んでたんだ。 事件さ起きたのは、 天文5年(1536)、3月3日のこと。 『北条氏康の家臣・大道寺駿河守(?)』の軍勢が、攻め込んできたんだと。 勢力争いかな? 何があったんだべな? 伝説にゃ、ここんとこ書いてないんだけど。 大事なとこだよな。気になるな~。 ま、わかんね、とこは、おいといて。 とにかく攻め込んできたんだよ。 んで、『逆井常繁』は、戦死しちまったんだと。 伝説って、なんでこったらあっさりとしてんだべな。 戦死の原因は? 戦の理由は? なんなんだ? なぞなぞみたいだど。 ええと、気を取り直して。 こっからが『鐘掘り池伝説』のだいじなとこ。 城主の奥方(あるいは娘)は、落城さ覚悟したんだな。 先祖代々から伝わる、『釣鐘』さかぶって、 池に飛び込み、亡くなったんだと。 その後。 『釣鐘』を探して、池ささらっったんだけど、みっかんない。 んで、人さ集めて、池底さ掘ったけんど、みつかんない。 他にも、何人も、何人も、池さ掘ったんで、 『鐘掘り池』または『鐘掘り井戸』 って、呼ばれるようになったんだと。 よくある話、っていえば、よくある話なんだけど。 なんか、裏にありそうな? こっから、歴史の一部分が、みえてきたり・・・しないかな。 ふむ。もっと情報さ、ほしいな。 《参考》 茨城県坂東市協会のホームページ (逆井城の縄張図も、載ってるど。みとこれね) 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.01.09 00:26:28
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