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「まとめ」 そういえば。『二子山古墳』の全景写真、載っけてなかったな。 こんな感じだど。 写真の右側が、前方。 左側が、後方 だど。 手前の丸いやつが『中島』。 そんで、写真さ撮ってるとこが、『堤』だな。 『二子山古墳』の『墳丘』は、 長さ 約108メートル 幅 約70メートル あんだって。 藪になってっとこが、『内堀』だよ。 なんかな~。広すぎて、よくわかんないや。 実はこの外にもう一週、『堀』があんだよ。 もう、携帯のカメラじゃ、収まりません。 パノラマ写真さ撮れるカメラが必要だな。 『堀』を含めた総長は 約213メートル 総幅は 約172メートル あるそうな。 200メートルを超える『前方後円墳』は、全国でもめずらしくてな。 だいたい機内地方に多いんだって。 当時の中心地が、あの辺だったからだべな。 でもな。群馬県にも、150メートル級の『前方後円墳』が、 ごろごろあんだって。 すげ~な~。 これは、当時の群馬県周辺が、東国の中心部だったから、って説があんだって。 当時の都・大和とも深い関係があってな。 大きな権力を持った豪族が、『保度田古墳群』周辺を 納めていたらしい、って話だど。 その証拠になりそうな遺跡が、近くにあんだ。 『三ツ寺1遺跡』っつってな。 『保度田古墳群』からみると、南の方向にあんだけど。 当時の豪族の館の跡じゃないか、って言われてる場所なんだ。 ここに住んでいた豪族が『保度田古墳群』に 埋葬されたんじゃないか、っていわれてるらしいど。 資料に載ってる写真でみっと、 四角に柵で囲まれた敷地。 周辺さ囲む、深い水堀。 そして、四角い敷地の角っこに作られたでっぱり。 なんか、お城の虎口みたいにめ~るよ。 堀の縁は、丸石がびっしり積み上げてあって、 石垣みたいにめ~るし・・・ なんか、城館みたい。 これが進化して、お城や城館になったんだべか? ぜひ、写真さ見てもらいたいんだけど、著作権とかあっかんな。 ブログにゃ載せられません。残念。 でも、『かみつけの里博物館』にいけば、詳しい説明と写真と 復元模型もみられるど。 ぜひ、よってみとこれね。 そうそう。ほかにも公園内にゃ、こんなのもあったんだっけ。 時間がなかったんで、遠くから写真だけ撮ったんだけど、 なんだべな? 広場か祭殿の、再現かな? これは、当時の家? かな? 手前にあるくぼみも、気になったんだけど、 寒さが限界にきてたもんで、素通り。 じっくりみたかった~。 そして道のあちこちに配置された、『盾を持った埴輪』 遺跡にいたずらされないように、見張ってんだべか? 他にも、『薬師塚古墳』や『土屋文明記念文学館』など、 みどころさ、いっぱいあったんだけど。 今回の散歩は、ここでお終い。 天気さ悪かったのは、残念だったけんど、 たのしかったど~。 でもな。『保度田古墳群』のすごさは、これだけじゃないんだ。 っつうか、群馬県の古墳時代は、ひとことじゃ言えないぐらい、 規模がでかいんだど。 たとえば、さっき書いた『三つ寺1遺跡』。 ほぼまるごと、当時の生活がわかるような状態で発見された遺跡でな。 全国の、研究者の注目を集めてるらしいど。 それに、日本のポンペイっていわれてる遺跡群も、ある。 榛名山の東にある『黒井峰遺跡』や『中筋遺跡』は、 5~6世紀ごろにあった、榛名山の噴火で埋まった 古墳時代のムラ跡なんだ。 当時のまんま、そっくり灰に埋まってたもんだかんな。 これらが発見されたことによって当時の生活様式が、 かなり詳しくわかってきたんだと。 ほかにも『水田の跡』とか、『渡来人の墓』っていわれてる史跡もある。 すごいぞ~、群馬県。 『保度田古墳群』周辺だけでも、こんだけあんだよ。 全県規模でみたら、どんだけあんだろ~! 群馬県、好きになっちゃったな♪ 《参考》 「よみがえる5世紀の謎 ~かみつけの里博物館・常設展示解説書~」 かみつけの里博物館の案内パンフレット ************************************* 最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~! にほんブログ村 ************************************** お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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