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カテゴリ:考え方
人生でさまざまな苦労があると、心が不安定になり、信じるもの、絶対的なものがほしくなる。
様々な宗教にはそれぞれの教えがあり、それを軸に日々の行動を反省したり、行動の指針としたりする。 たとえばある宗教の人は、気持ちが不安定になると、もしくは日常的に、神に祈ったりする。 だから宗教というのは、ある意味で生き方なのだと思う。 しかし、日本人の多くは無宗教だという。 だから心が不安定になった場合、すがるもの、信じるものを求めることになる。 それはいわゆる新興宗教になることもあるし、ある種のものや行動を取り入れる、もしくは避けるという行動になることもあるだろう。 「現代が生み出した最大の宗教は、科学である」ということを、なにかの折に聞いたことがある。 聞いたのは大学時代だったかな。 そのとき意味はあまりわからなかったが、妙に記憶に残っていて、最近この言葉を思い出す。 自分の考える科学は、正しいものを積み上げていくことというイメージがある。 「1+1=2」から始まって、絶対的な理論をどんどん積み上げていって、アインシュタインの特殊相対性理論やら、普通の人には理解しがたい理論ができていく。 そうした理論は間違いのないものに見えるし、だからこそ説明も容易であり、勉強の得意苦手はあるにせよ、時間をかければ理解が可能であるので、多くの人はそれらを極めようとする。 そうした結果が学歴社会というのは言い過ぎだろうか。 そうして考えていくと、日本人の多くは無宗教と言うが、科学教なのではないか。 そういう一般的な無宗教(科学教)の人たちが時間をかけて作り出したのが、今の日本の現状ではないか。 震災後、何かが違うと気づき始めた人たちがいる、という表現も、最近よく聞く。 それは、科学教のデメリット的な部分を感じ始めた人たちではないか。 宗教は生き方だとすれば、最近の自分の宗教は、自給教かもしれない。 困ったことやほしいものは何でもお金で解決するのではなく、なるべく自分でできる割合を増やしていく。 そうすると、お金から自由になりやすい。 すると仕事というものの捉え方も、稼がなければいけないから仕方なくやるものではなく、自分が本当にやりたいことで人に喜んでもらうもの、になるのではないか。 そうなると、遊び、暮らし、学び、仕事の境界線が、どんどんあいまいになっていく気がする。 そんな生き方をしていきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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