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カテゴリ:邦画
2023年に公開された日本の映画。 1971年に放送されたテレビシリーズ『仮面ライダー』のリブート作品。 庵野秀明による実写版リブート作品としては、ゴジラ、ウルトラマンに続く3作目。 現代を舞台に、石ノ森章太郎の原作漫画『仮面ライダー』を参照しながら新たに描かれている。 主演は池松壮亮。ヒロイン役として浜辺美波が出演。 他に柄本佑、西野七瀬、斎藤工、竹野内豊、森山未來が出演する。 粗筋 オートバイで逃走する本郷猛(池松壮亮)と緑川ルリ子(浜辺美波)。 追ってきたクモオーグと配下の戦闘員らにより、ルリ子は捕まってしまう。 だが、本郷はバッタオーグに変身して戦闘員らを瞬く間に倒し、ルリ子を救出すると、ルリ子が用意したセーフハウスに身を隠す。 そこにルリ子の父・緑川弘が現れる。弘は、本郷を生体エネルギー(プラーナ)の力によって変身する昆虫合成型オーグメンテーションプロジェクトの最終版として、圧倒的な殺傷能力を持つ新たな体にした、と説明する。 本郷は、何故弘が自分をこんな体に作り替える事にしたのか全く分からず、戸惑うしかない。 弘は、力を人の為に使ってほしいと語った後、突如現れたクモオーグによって殺されてしまう。 クモオーグはルリ子を再び連れ去った。 本郷はバッタオーグにまた変身すると、クモオーグを追う。そして「仮面ライダー」と名乗った上でクモオーグを倒す。 別のセーフハウスに身を隠す本郷とルリ子の前に政府の男(竹野内豊)と情報機関の男(斎藤工)が現れる。警護と情報提供の代わりに、本郷同様にオーグメントとなった者らとその所属組織SHOCKERの排除に協力してほしいと持ち掛ける。 本郷とルリ子は突然現れた二人を疑うものの、他に選択肢は無いと判断し、条件を受け入れる。 SHOCKERの一員であったルリ子は、その狙いを説明する。 SHOCKERは、元は絶望を抱えた人々を救済する為に結成された組織だった。が、設立者はそれには人間が導くよりも自身が開発した人工知能に導かせた方が良いという考えに傾倒し、組織の運営を人工知能に任せた上で自決。人工知能は設立者から与えられた使命を達成する為に、SHOCKERを非合法活動を繰り広げる組織へと変えていったのである。 本郷は、自分の持つ力に恐怖を抱き、戦いを覚悟出来ない。 ルリ子は、そんな本郷を残し、SHOCKERの生化学主幹研究者コウモリオーグの元へ単身向かい、絶体絶命の危機に陥る。 そこに、漸く覚悟を決めた本郷が現れ、コウモリオーグと対峙し、これを倒した。 一方、ルリ子の兄でSHOCKERの一員である緑川イチロー(森山未來)は、妹が本郷を伴って自分の下に戻って来ると確信し、その日の為の準備を進める。 政府の男と情報機関の男は、猛毒性化学兵器を使うサソリオーグ(長澤まさみ)を本郷とルリ子の力を借りずに排除する事に成功した。 次の排除対象に定められたのはハチオーグ(西野七瀬)だった。 が、サソリオーグの排除で多数の犠牲を払ったので、政府の男と情報機関の男は排除を本郷とルリ子に依頼する。 ハチオーグは、ルリ子にとって親友に近い存在であった。 ハチオーグは本郷とルリ子に組織に戻るよう促すが、それを断られると街の人々を洗脳して操り、2人を襲う。 本郷はハチオーグの洗脳システムを破壊する為、ルリ子をアジトへと単身向かわせてハチオーグの気をそらし、上空から降下してシステムを破壊する。 ハチオーグを圧倒し投降を勧める本郷とルリ子であったが、ハチオーグはこれを拒否。 敵対する事になってしまったものの親友を倒す事を躊躇うルリ子と、ルリ子の親友を倒したくない本郷の間を割って、情報機関の男がサソリオーグのデータを応用した兵器を用い、ハチオーグを殺してしまう。 ハチオーグの死を嘆くルリ子を、本郷は慰めるしか出来なかった。 SHOCKER排除に動く政府機関は複数あり、その内一つがイチローのアジトを強襲するが、全滅した。 政府の男と情報機関の男は、全滅した特殊部隊の遺体を安置した場所に本郷とルリ子を連れて行く。 遺体はどれも損傷が無く、笑みを浮かべたまま死んでいた。 遺体の状況について、ルリ子は説明する。特殊部隊員らは死んだというより、イチローにより魂を抜かれた、と。抜かれた魂はいわゆるハビタット世界に送り込まれてしまっていて、それらの魂を取り返して身体に戻す事は不可能なので、残された身体は死体として処分するしかない、と。 イチローは、全人類の魂をハビタット世界に送り込む計画を立てていた。 その計画を阻止する為、ルリ子は本郷と共にイチローのアジトへと向かう。 兄と再会を果たしたルリ子は、イチローの圧倒的な精神力を受けて意識を失ってしまう。 本郷を軽くあしらったイチローは、第2バッタオーグである一文字(柄本佑)に後を任せる。 本郷は、変身するには風をベルトで受ける必要があるが、強化型の一文字は風を受けずに変身出来た。戦闘力でも本郷を上回る一文字は、本郷を圧倒。 一文字はルリ子と対峙するが、ルリ子はデータ転送能力を活かして、SHOCKERが一文字に掛けていた洗脳を解いてしまう。洗脳が解かれた一文字は、SHOCKERに捕らわれる前の記憶が一気に蘇り、戦意を喪失する。 とりあえず難を逃れたと思っていた本郷とルリ子だったが、突然現れたカマキリ・カメレオンオーグにより、ルリ子は致命傷を負ってしまう。 カマキリ・カメレオンオーグは本郷に襲い掛かるが、正気を取り戻した一文字により倒される。 ルリ子は本郷の目前で命を落とした。 本郷は、自分のマスクに残されたルリ子の遺言を聞き、彼女の遺志を継ぐ決意をし、イチローの元へ再び向かう事に。 一文字に、一緒に来てほしいと本郷は頼むが、一文字は一匹狼の自分にそんな事は出来ない、と固辞。 本郷は単独でイチローのアジトへ向かうが、11体の大量発生型相変異バッタオーグの攻撃によってピンチに陥る。 だが、仮面ライダー第2号を名乗り味方に転じた一文字により、窮地を救われる。 バッタオーグらを倒した第1号と第2号はイチローのアジトへと辿り着くが、イチローは完全体仮面ライダー第0号となり、圧倒的なプラーナの量による力で反撃する。追い詰められた本郷らは、イチローのプラーナの供給源である玉座にサイクロン号をぶつけて破壊する。 持久戦に入るとイチローは次第に弱り、一文字にマスクを破壊され、本郷にルリ子のプログラムが入ったマスクを被せられる。マスクの中でイチローはルリ子の魂と和解し、計画を諦めて死を受け入れる。 同時に本郷も死闘の影響でプラーナを消耗し、一文字の目の前でイチローと共に消滅する。 後日、政府の男と情報機関の男は、一文字に対し、本郷が彼に自分の遺志を継いで戦い続けてほしいと願っていた事を伝える。 一文字はマスクの中で生き続ける本郷の魂と共に、新たな敵との闘いに向かう。 感想 庵野秀明氏が手掛ける昭和の特撮ヒーローをリブートする「シン・〇〇」シリーズ。第3弾。 第1弾はゴジラ、第2弾はウルトラマンだったので、第3弾は仮面ライダーという事になったらしい。 ゴジラもウルトラマンもそうだったが、この手のリブートは困難が伴う。 昭和時代に制作・公開され、その後一切制作されず、何十年振りの復活、という事なら単に全てを現代風にアップデートすればいいが、これらの特撮シリーズは昭和時代に留まらず平成・令和時代にも制作されており、既に時代ごとにアップデートされている。 単に現代風にアップデートしてしまうと、「既にある平成・令和版の劇場公開版と何が違うの?」となってしまい、リブートの意味が薄れる。 一方で、昭和時代のものを何もアップデートせずに制作してしまうと、昭和と現在の価値観のギャップから「ただただ古臭いだけの作品」になってしまう。昔を知っている者らが懐かしがるだけで、最近のしか知らない者からすれば「知っているものと全然違う」になってしまうのだ。 制作者は、昭和時代のエッセンスを充分に盛り込みながら、アップデートすべき箇所はアップデートするという、絶妙なバランスを保たなければならない。 また、漫画のヒーローの実写版はアメリカのマーベルやDCにより多数制作されている。マーベル/DCレベルの完成度の実写版を制作するには、それらに匹敵する予算が必要になってくるが、残念ながら邦画ではそこまでの資金を投入出来ないので、下手にマーベル/DCを意識し過ぎるとハリウッド映画の劣化版にしかならない。妥協点をどこに置き、それを観客が観て違和感を抱く事無く納得してもらえるかも重要となってくる。 本作は、1970年代に連載された漫画原作とその直後に放送された特撮番組のエッセンスを引き出し、その時代を連想させるものにする一方で、そのまま制作していたら陳腐になっていたであろう箇所を現代風にアレンジしていて、1970年代の仮面ライダーを期待する者の期待、現在の映画として観たい者の期待双方に応えている印象。 平成版・令和版の仮面ライダーシリーズは、オートバイ市場の縮小に合わせてか「ライダー」と名乗りながらオートバイに全く乗らないものが制作されている。 映像もCGの多様が当たり前で、CGが導入される以前の特撮では有り得なかった視覚効果も可能に。一方で何でもCGで表現出来るので、俳優らに何も演技させる必要が無く、アクションシーンの質は低下。 玩具メーカーとタイアップしている事情もあり、最近の仮面ライダーは変身した後も更に変身する。そうする事で玩具メーカーはフィギュアを無弁に出せる仕組みになっていて、視聴者である子供の親にそれら全てを買い与えさせる事を強いている。 演じている俳優らも、子供と一緒に観るであろう母親の心を掴む為にいわゆるイケメンを起用している。演技力より顔で起用されたのでは、というのが多い。 これらは、時代に合わせて進化させている、という見方も出来るが、昔を知っている者からすれば全くの別物になってしまっている。 本作の仮面ライダーは、オートバイに実際に乗っている。オートバイを使った派手なアクションは無いが、少なくとも「ライダー」を名乗っても違和感は無い。 CGを使っている部分も多いが、要所要所ではCGを使わず昔ながらの特撮を使っていて、俳優らが実際に動いて演じているのが分かる。 登場人物は次々変身していくが、変身した後更に変身する、という事は無いので、それぞれの登場人物の変身後の姿が固定化し、どれがどれだか分からない、という事にはならない。 演じている俳優らも、現在風のイケメンではなく、しっかりと演技出来る者を起用しているので、嫌味無く観ていられる。 昭和時代に制作された番組を観返して本作を観ると「コレジャナイ感」を抱くのかも知れないが、昭和時代のものを観ていない、もしくは昭和時代のものに執着していない者であれば納得出来るとものになっている。 敵組織のSHOCKERは、漫画原作では単に世界征服を企む邪悪な組織だった。 本作では、SHOCKERは元々邪悪な組織ではなく、人類を幸福に導く宗教的な組織が先鋭化していき目的の為には手段を択ばないものに変わっていった、という設定になっている。 こちらの方が一応説得力はあるかな、と思う。 規模や資本的な背景は明らかにされておらず、本作では最後の敵だったイチローも単なる一員に過ぎず、敵はまだまだいる、で終わっている。 1970年代の漫画原作を意識しているので、全体的にB級感が漂ってしまっているのも事実。 本郷らはSHOCKER工作員のアジトに出向いては敵を倒していくが、本来だったら敵のアジトは見付け難く、侵入も困難でなければならない筈なのに、どのアジトも皆に知られ、誰でも出入り出来る公共施設の様で、敵オーグらは本郷らを当たり前の様に迎え入れて会話した後、死闘を開始し、本郷らに倒されて消えていく。 本作の最終的な敵であるイチローのアジトも同様。 SHOCKERの存在が「公然の秘密」なら、政府は本郷ら素人を使わなくても、圧倒的な兵力で殲滅していけばいいのに、と思ってしまう。 テレビシリーズなら数十話に分けて敵を1人ずつ倒し、最終的に組織そのものを潰す、という構成になるのだろうが、本作は2時間の上映時間で数話分の敵を次から次へと倒していく、という構成になっている。 あまりにも次から次へと倒していくので、どの敵も深く掘り下げられていないのが残念。キャラ的にはどれも個性的で、インパクトはあるが、登場から僅か数分で倒されて退場している。 最終的な敵であるイチローも、最終決戦の開始時点ではライダー2人で挑んでも全く歯が立たないくらいの強さなのに、王座を破壊されると一気にスタミナ切れして本郷に呆気無く倒されてしまう。 もう少し凄い戦闘が観たかったな、と思わないでもない。 主人公の本郷猛を演じるのは池松壮亮。 昭和版の主人公を演じた藤岡弘と比較すると迫力に欠け、弱々しく見えてしまうが、エヴァンゲリオンの庵野秀明氏が手掛けた以上、主人公が弱々しく改変されてしまうのは仕方ない。 藤岡弘の様な俳優を起用したくても、今の若手にそうしたキャラを説得力ある形で演じられるのがいない、という問題もある様である。 その一方で、池松壮亮の本郷は、仮面ライダーはただただ好戦的なキャラではない、という現代風の解釈には合っていた。 ヒロイン役のルリ子を演じるのは浜辺美波。 そういう演技指導を受けたからどうか不明だが、ひたすら硬い演技。 お陰で、ルリ子というキャラも可愛げがないものになってしまい、途中で殺されてもその悲惨さがあまり伝わってこなかったのは残念。 寧ろハチオーグやサソリオーグの方が可愛げがあり、死んだ時は何と無く悲しく感じた。 一文字を演じるのは柄本佑。 いわゆるイケメンの俳優ではないが、本作では何故か格好良く映るから不思議。 主人公の本郷がいかんせん頼り無い部分があるので、一匹狼的な一文字が一層頼もしく見えた。 一文字を主人公とした続編が公開されたら、出来にもよるが、観たい気がする。 「シン・ウルトラマン」で主役を演じた斎藤工が情報機関の男、脇役で登場した竹野内豊が政府の男として出演。 二人とも演じているキャラが似通っているので(特に斎藤工はセリフが意図的に棒読み)、もしかしたら同じ人物で、斎藤工演じるキャラはラスト辺りでウルトラマンに変身するというサプライズがあるかも、と思ってしまった(流石に無かったが)。 また、「シン・ウルトラマン」で主要キャラを演じた長澤まさみも、サソリオーグとして出演。数カットだけで、勿体無い使い方。何故サソリオーグと仮面ライダーを戦わせなかったのか、分からない。 仮面ライダーは子供向けのテレビ番組として制作されているが、本作はPG-12で、子供一人では劇場で観る事が出来ない事になっている。 血飛沫が散るシーンがあるので、子供が一人で観るには刺激が強過ぎる、という理由らしい。 が、血飛沫が散る場面では、血飛沫が散るだけで血を出しているキャラ(と思われる)そのものは映り込まない。 登場人物が次々死ぬが、SHOCKERの構成員は死んだ瞬間に泡となって消えていく、という設定になっているので、血塗れの死体が映り込むシーンも無い。 PG-12に指定しなければならなかったのかね、と見識を疑う。 寧ろテレビ版の方が残酷なシーンは無いものの人がガンガン死ぬストーリーが多いので、そちらの方が子供には刺激が強過ぎるのでは、と思ってしまうが。 問題点や不満が無い訳ではないが、1970年代の仮面ライダーを50年後の令和の時代に持って来て復活させたい、という制作者側の意気込みは充分伝わったし、ハリウッドの真似ではないアクションヒーローにしたい、という思考も理解出来た。 何だかんだで、シン・ウルトラマン同様、邦画にしては楽しめた。 ただ、リブート出来る昭和時代のヒーローはこれでとりあえず出し尽くしたので、「シン・〇〇」はこれで打ち止めにした方がいいのでは、と思う。 昭和の特撮ヒーローは他にもまだあるが、あまりマイナーなのを引っ張り出してきて「リブートしました。観に来て下さい」と呼び掛けられても観る気が起こらない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.01.03 16:19:25
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