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眼科クリニック開業までの軌跡

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2023.07.19
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カテゴリ:廃線跡探訪
はじめての乗船が、1987年の8月。

青函トンネルの開業と引き換えに、青函連絡船の廃止が決定。青函連絡船に乗るには今しかないと、当時中学3年生の夏、青春18きっぷを片手に、青函連絡船に乗船している。

中学生の旅行なので、宿代を浮かせるため、夜行列車・連絡船を利用した。
青春18きっぷには、午前0時前に出発する列車(連絡船)に乗れば、日付が変わっても次の駅まで乗車できるというルールがあり、その効用を最大限利用するため、夏の多客期に、夜行の臨時の連絡船が運行される日を狙ったのであった。

函館の市街では夏祭りが開催されていたので、日付は特定できそうだったが、どうしても思い出せないため、インターネットの古本販売で、当時(1987年8月号)の時刻表を購入し、検証したみた。
当時の時刻表によると、1987年8月1日から6日までは、青函連絡船173便が青森発21時55分、函館着1時45分となっており、当時の私の記憶に一致している。

東京駅からは、東北本線で北上しても臨時連絡船173便に間に合うが、私は、常磐線経由で仙台まで、盛岡からは、花輪線経由弘前行の快速八幡平に乗車した。盛岡までの東北本線の下り普通列車は、夏休みシーズンで混雑していたが、車窓からみえるみちのくの景色を堪能した。花輪線内で日没をむかえ、車内は閑散としたていたが、私は、運転席後ろの小さい窓から、前面の展望(日没後なので、線路や踏切の赤色灯くらいしかみえないが)を楽しんだ。弘前駅からの奥羽本線の乗り換え列車が、列車番号643の客車列車となっているが、12系だか50系だったかは記憶にない。当時は、普通列車でも、車掌が連絡船の乗船名簿を配りにきていた。

8月1日から6日は、函館で夏祭りが開催される期間で、函館は多くの観光客で賑わっていた。
函館市交通局の1日乗車券で、市内電車にのりつぶし、函館山の展望台を訪問している。

帰路も青函連絡船夜行便から、大垣夜行で岐阜自宅まで移動である。当時は、中学生といえ、車中(船中)連泊できる体力があった。
運用された連絡船の船名を知りたかったため、ネットで検索してみたが、情報は得られなかった。

出典 JR時刻表1987年8月号より。



連絡船のりばは駅のホームから長い通路を進んだ先にあり、少し距離があった。当時の連絡船のりばと、青函連絡船の摩周丸が静態保存されている。船内は博物館として見学可能であるが、私が訪問したときはすでに閉館時間を過ぎていたため、船外の写真のみ。


日本国有鉄道を表すJNRの文字が描かれている。







車両甲板につながる部分。函館駅で時間を潰している間、貨物列車が何度も往復しながら、貨車を船内に押し込んでいるのを見学していた。






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最終更新日  2024.02.17 21:12:43
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