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カテゴリ:乗り鉄
2016年の災害による根室本線の不通区間を含む富良野-新得駅間の2024年3月末の廃止が決まった。となってくると、廃止がささやかれている釧路-根室駅(通称 花咲線)の先行きも明るくはなかろうと思われる。
栃木県から、根室に行くには地理的にも時間的にも大変だが、なんとか乗りに行くことができた。 根室本線には1988年春に1回目、その後大学生時代に1回、医者になってから2回(夏)と、かつて4回往復乗車を果たしているが、何回でも乗りたくなる路線である。今回は秋であるが、2023年の夏はかつてないほどの猛暑で、北海道でも例外ではなかった。 今回は、当該区間に乗車できるのが、最後のような気がしたため、沿線の景色や駅名標を撮影し、記録に残しておいた。 終着の根室駅での撮影。 駅からは、オホーツク海に面した港を眺めることができる。 初乗車のときには、徒歩で港まで歩き、流氷を眺めていたが、今回はすぐに折り返すため、駅前の探索はしなかった。 釧路駅で始発列車に乗るため、駅の入口が開く前から並んでいた。その甲斐あって、進行方向右の眺めの良い席に座ることができた。車内は0系新幹線発生の転換クロスシートで、シートと窓割りが合わない箇所がある。学生時代と変わっていないが、シートの座面は昔よりくたびれていた。道東の普通列車には冷房の設備はない(ことがおおい)。 乗客は、シートの半分がうまる程度、景色は車窓の両側に広がるため、クロスシートが空いていても、車端部のロングシートに座っている旅行者もいた。 地元の方の利用は、途中駅から数名あった程度。 折返し列車はさらに乗客は少なく、乗車率は目視で30%ほどであった。帰路は、往路では撮影できなかった進行方向右側の駅名標などを撮影した。 1995年頃の写真。旧型客車が留置され、ライダーハウスとして利用されていたよう。 後方にみえる赤色のトラス橋は、訪問時にはなかった。解体されたのであろうか? 2007年5月15日訪問時の写真。 2010年8月2日にも訪問していた。 2010年当時は、厚床駅は交換可能であった。写真はトリミングしたが、2名の乗客があった。 標津線の乗換駅であり、1988年3月に、中標津駅から当駅まで乗車している。その後標津線は廃止され、とうとう、この厚床駅まで、廃止時期は近づいてきているのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.09.23 11:26:54
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