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「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2014.03.19
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カテゴリ:旅のアイテム
「スイス旅行」の為に【スイスの歴史】を・・・とりあえず勉強しています(^-^)V



◎原初同盟の成立(1291年-1523年)

伝説では

原初同盟(誓約同盟)の結成は

「リュトリの野」で行われたとされている。

神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世の死後、

ハプスブルク家のアルブレヒトの息子

フリードリヒ(ドイツ王フリードリヒ3世)が

バイエルン公ルートヴィヒ(ドイツ王ルートヴィヒ4世)と

帝位をめぐって争ったが、

アルブレヒトを敵視していた原初同盟は

バイエルン公を支持した。

これに怒ったフリードリヒは

ハプスブルク家の精鋭を揃えて

スイス領内に侵攻したが、

1315年のモルガルテンの戦い、

1386年のゼンパッハの戦いで

スイス農民軍に打ち破られた。

こうして

スイスからハプスブルク家の影響力が排除された。

このハプスブルク家との死闘のさなかの

1353年に最初の3州に加えてグラールス州、

ツーク州の両州と

ルツェルン、チューリッヒ、ベルンの各都市が

原初同盟と個々に同盟を結ぶという形で同盟に加わった。

こうしてできたのが

「八州同盟」である。

アペンツェル戦争(1401年 - 1429年)中の

1411年に、

アペンツェル(1403年 - 1597年)は

原初同盟と

防衛条約を締結した

(この時点ではAssociate Memberで、1513年のアペンツェル同盟でfull memberとなる)。

1440年代に

トッゲンブルク伯領をめぐる争いによって

チューリッヒが一時的に諸州と争ったことはあったにしろ、

盟約者団は

連合によって力を結集することで

その地歩を築き、

周辺諸国の干渉を排除していった。

特に、1470年代に

ブルゴーニュ戦争で

スイス領内へ侵攻した

ブルゴーニュ公国の

シャルル突進公の軍勢を破ったことと、

スイス人傭兵が

ヨーロッパ全域の戦場で活躍するようになったことで、

スイスの国際的な地位は向上した。

伝統的にスイスの諸州の表記は

連邦への加入順にされている。

初めに原初同盟の最初の8つの州と都市があげられ、1481年以降に加入した州が時代順にならぶ。

1488年に

シュヴァーベン同盟が結成され、

1499年に

皇帝マクシミリアン1世が

スイスを勢力下に収めようと侵入したが

スイス軍の前に敗れ

(シュヴァーベン戦争)、

この勝利によってスイスは

神聖ローマ帝国からの事実上の独立を勝ち取り、

シュヴァーベン地方では

ドイツ農民戦争(1524年 - 1525年)へと向かうことになった。

1506年には

教皇ユリウス2世が

近衛兵として初めてスイス人傭兵を採用している

(スイス人傭兵というものが存在しなくなった現在でも、

教皇の衛兵は伝統的にスイス人が務めている)。

この頃、

スイスの軍勢は無敵を誇り、

支配地域の拡張を目指して

イタリア戦争などの周辺地域の紛争に干渉したが

(ノヴァーラの戦い)、

1515年のマリニャーノの戦いで

フランソワ1世率いる

フランス軍に大敗を喫したことで、

拡張政策の放棄を余儀なくされた。 
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最終更新日  2014.03.19 08:49:25
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