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萩原 健一(ショーケン)・・・とは? 文=ウィキペィア様より
萩原 健一 はぎわら けんいち 1950年7月26日~(66歳) 日本の俳優・歌手。 埼玉県北足立郡与野町(現:さいたま市中央区)出身 ニックネームは「ショーケン」 由来はデビュー前の不良仲間、ダイケン、チューケン、ショーケンから 元、ザ、テンプターズPYGのリード・ボーカル (PYGは沢田研二とのツイン・ボーカル) 血液型はO型 所属事務所はKR株式会社(2016年8月よりオスカープロモーションと業務提携 鮮魚店に非嫡出子として生まれる 本名は萩原敬三(はぎわら・けいぞう) 東京都荒川区の聖橋中学校・高等学校(現在は廃校)在学中、 埼玉県大宮市でスカウトされ、 ザ・スパイダースの弟分バンド ザ・テンプターズのヴォーカリストとして 1967年に16歳でデビュー 「神様お願い!」 「エメラルドの伝説」など 次々とヒット曲を飛ばして人気を得る 解散後井上堯之、大野克夫、沢田研二、岸部一徳、大口広司らで PYG(ピッグ)を結成する。 各種ロックフェスティバルやテレビ出演などもこなしたが、 音楽活動よりも映画監督を志すようになる。 1972年に製作された松竹映画『約束』の製作現場に、 助監督として参加。 しかし元の主演俳優が降板してしまったことを受けて、 代役に抜擢される。 『約束』での岸惠子との共演は高い評価を得、 これを機にPYGの活動を続けながら俳優へと本格的に転身。 TVドラマ『太陽にほえろ!』の 初代新人刑事=マカロニ役でその人気を決定付ける。 1972年12月をもって音楽活動を停止 (これによりPYGは事実上解散) 1974年には名匠・神代辰巳 とのコンビによる映画 『青春の蹉跌』でキネマ旬報の最優秀主演男優賞を受賞。 続いて日本テレビ系のテレビドラマ『傷だらけの天使』、 倉本聰脚本の『前略おふくろ様』と連続してドラマ作品に主演した。 1975年には初のソロアルバム『惚れた』をリリース。 これをもって音楽活動を再開し、 「お前に惚れた」「大阪で生まれた女」、 柳ジョージ&レイニーウッドがバックを担当した ライヴ盤『熱狂雷舞』を発表。 また同年モデルの小泉一十三と結婚し 女児をもうけるが3年で離婚している。 俳優としても脚本家・橋本忍の指名を受けての 松竹映画『八つ墓村』(1977年)や 黒澤明の『影武者』(1980年)などに出演。 誘拐犯を演じた『誘拐報道』 (1982年/モントリオール世界映画祭審査員賞) 作家・連城三紀彦が萩原をモデルにしたという 直木賞作品を自身で演じた『恋文』 (1985年/日本アカデミー賞優秀男優賞)などを受賞した。 1980年にいしだあゆみと結婚、 1984年に離婚発表。 入籍については、 萩原は2008年に自叙伝『ショーケン』のなかで、 未入籍で事実婚の状態であった旨を告白している。 しかし、『週刊新潮』2008年4月3日号では 『「ショーケン自伝」いしだあゆみと「未入籍」は ウソだった』と記事で報じている。 1983年4月20日、 大麻不法所持にて逮捕され、 懲役1年、執行猶予3年の有罪判決となり、 1年間に渡って全ての活動停止を余儀なくされた。 復帰後も俳優業と平行して音楽活動を行い 「愚か者よ」等のヒット曲を出す。 また、インドはカルカッタでチャリティコンサートを行った。 1984年、飲酒運転で人身事故を起こし、 業務上過失傷害罪で逮捕された。 1985年11月には、 女優倍賞美津子との2ショット写真を週刊誌に撮られて激昂。 カメラマンと編集者に暴行し、書類送検された。 1990年以降、音楽製作とは距離を置き 俳優業をメインに活動を行うようになる。 サントリーモルツのCMや 東芝日曜劇場『課長サンの厄年』 山口智子、室井滋と共演した『居酒屋ゆうれい』 (1994年/報知映画賞・高崎映画祭主演男優賞) ドラマ『外科医柊又三郎』(1995年)に出演した。 2004年10月、 再び交通事故を起こし 業務上過失致傷罪で現行犯逮捕された。 また、監督・スタッフ・共演者への暴言・暴行を繰り返したため 途中降板となった主演映画『透光の樹』の 前払いの出演料半額分(750万円)の返還を プロデューサーから求められた際に、 「一方的に降板させられた」として拒否。 さらにプロデューサーに電話をかけ、 国税庁・警視庁・実在する暴力団の名を挙げて 「必ずやっつけますから」と脅迫する言葉を留守電に残し、 出演料全額分(1500万円)の支払いを要求したことで、 同年11月に製作側から恐喝未遂容疑で告訴され、 翌年の2月に再び逮捕された。 当初脅迫電話をしたことは否定していたが、 証拠として録音された音声が出されると、これを認めた。 この恐喝事件で2005年6月に東京地裁で懲役1年6か月、 執行猶予3年の有罪判決を受け、 しばらく活動休止。 しかし2005年7月にテレビ番組内で、 「大麻解禁にしましょうか」と発言し、 その後、厚生労働省から注意されたため、 「ジョークのつもりだった」と釈明した。 3度目の結婚相手との離婚を経て、 2008年に自叙伝『ショーケン』、 ボーカリストとしてゲスト参加した宇川直宏による 音楽ユニット・UKAWANIMATIONのデビューシングル 「惑星のポートレイト 5億万画素」 (作曲・プロデュース:石野卓球)で 本格復帰を果たす。 5年ぶりの映画出演となった 『TAJOMARU』(2009年/小栗旬主演)の将軍足利義政役で 日本映画批評家大賞の審査員特別男優賞を受賞。 2010年には東京・大阪で7年ぶりのライヴ(トーク&ミニライヴ)ツアーを行なった。 2011年2月7日に、モデルの冨田リカと結婚。 「ジェットコースターのような人生だったけども、 今後は2人でメリーゴーラウンドのようなゆっくりした人生を歩みたい」と語った。 現在は芸能活動の傍ら四国八十八箇所を遍路する等仏教研究に取り組んでいる。 マカロニにぽち お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.04.29 18:15:50
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