「THE世界遺産」ドゥブロヴニク旧市街・クロアチア
東京では昨夜午後6時から、TBS=6CHで放送された「THE世界遺産」ドゥブロヴニク旧市街(クロアチア)クロアチア旅日記を書いているのに・・・出し抜かれました!今回の旅で5日目にビックリさせようと思ったのに(残念;;)でも、気になりますよね~あの「ドゥブロヴニク旧市街」では、予告として・・・ 「THE世界遺産」ドゥブロヴニク旧市街・クロアチア 2011年12月12日(日)2週間も雨だったそうですが きらり撮影「ドゥブロヴニク旧市街」 2011年2月6日放送 TBS 昨夜の放送では、最初に・・・ ロブリエナッツ要塞の入口の碑文を案内していましたね NON BENE PRO TOTO LIBERTAS VENDITUR AURO クロアチアの教室風景で黒板に書かれた文字 LIBERTASとは・・・「自由」と言う意味で 訳すと・・・ 「いかなる黄金を持ってしても自由を受け渡してはならない」 クロアチア・・・旧ユーゴシラビアを旅するのは・・・ この言葉の意味を理解する為であると思います。 きらり撮影「ドゥブロヴニク旧市街」 ドゥブロヴニクの始まりは何もない海の岩場でした。 いったいどうやって街を築き発展させたのでしょうか。 きらり撮影「ローラントの像」 「ドゥブロヴニクのひじ」と言われ ロラントさんの手からひじの長さが、単位になって この台座には、長さが記してあります。 そう~この時代に「公平な取引」をしていたのですね! 16世紀・・・黄金時代 小さな共和国は交易により巨万の富を蓄え、 市民の生活を豊かにするために使いました。 そう~国民に優しい政治 「医療と福祉」の国があったのですね! 病院や薬局では、お金をとってはいけない法律があったそうで その薬局は、この修道院の中に そして、女性に優しいクリーム 「若返りのクリーム」? おっと~むっちゃ~若いきらり。 関係ない? むむ~っ(欲しい) ドゥブロヴニク旧市街は、 1979年世界遺産登録されましたが・・・ 今から20年前 1991年12月6日 (TBS映像ありましたね) 旧ユーゴスラビアの内戦で街が破壊され 世界危機遺産となる 長年の復旧作業を経て 1998年 世界危機遺産から抜ける 現在では 年間940万人の観光客が訪れる ヨーロッパ屈指の観光地となりました 海外旅行マニアの間では・・・ 行ってみたい世界遺産にノミネートされ わずか500m四方の小さな街は 「アドリア海の真珠」と呼ばれ 中世ヴェネチアに並ぶ 海洋国家として名をはせました。 旧市街には かつての面影を残す歴史遺産が、 今も宝石のようにぎっしりと詰まっています。 「中世のタイムカプセル」 TVで紹介された部分は、ほんの予告であり・・・ 「きらりの旅日記」は、まだ ドゥブロヴニク到着しておりませんが 中世のタイムカプセルを開くのは・・・きらりか? それまで少々お待ちいただきポチっとなう。→