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カテゴリ:検察とマスコミ
菅家利和さんの記事を見ました。

菅家さん「謝ってください」 元検事は応じず 再審公判(朝日新聞)

 栃木県足利市で1990年に当時4歳の女児が殺害された「足利事件」の再審第5回公判は22日午後、菅家利和さん(63)が、証人として出廷した森川大司(だいじ)・元検事(62)に厳しい口調で謝罪を求めた。しかし、森川元検事は最後まで謝罪せず、当時の取り調べが適切だったと繰り返した。「どうして犯人にされたのか」。菅家さんの疑問はこの日も解けなかった。

 宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)で行われた証人尋問では菅家さんと森川元検事が17年ぶりに対面。冒頭、菅家さんが問いかけた。

「17年半もの間、無実の罪で捕まっていました。このことをどう思いますか」

 これに対し、森川元検事は「全証拠を検討した結果、菅家さんが犯人に間違いないと判断した。新たなDNA型鑑定で犯人でないことが判明し、非常に深刻に思っている」と述べた。

 証人尋問の最後にも、菅家さんは質問のために立ち上がり、強い口調で謝罪を求め、頭を下げた。

「私と森川さんの立場を逆に考えて下さい。謝って下さい。お願いします」

 だが、森川元検事はうつむき、「さきほど申し上げた通りです」と小声で答えた。

 森川元検事は弁護団の質問にも、「否認しても有罪という心証を持っていた」「自白しろと強要したことはない。(菅家さんは)質問に対して供述していた」「犯人だから供述できると思えるものがあった」などと述べ、取り調べに問題はなかったと強調した。

 「自白は虚偽だった。検察は絶対的な間違いを犯したのでは」との追及にも「私はわかりません」。捜査の反省点については「最高検で検証作業をしている。現段階で個人的な感想を言うのは適切ではない」と答えるにとどめた。

 公判後、菅家さんは「まったく反省の気持ちが伝わらなかった。テープの中で『人間性がない』と言った彼のほうが人間性がないと言いたい」と語気を強めた。

<転載おわり>

足利事件・菅家さんインタビュー(江川紹子ジャーナル)

<一部転載>

――逆に、怒っているのは、誰に対して怒っていますか?

「やっぱり、自分としては、当時の刑事、検事。この2人ですよ。それから、裁判官。この3つですね。ものすごく怒ってますね

――謝ってほしいとおっしゃいましたね?

「ああ、その通りですよ。今もその気持ちは変わってません。今でも来てもらって、謝ってもらいたいですよ。

もし、今でもね、当時の刑事が、当時の気持ちと同じでいたら、ぶん殴りますよ。殴りたい気持ちです。今、本当に。それだけ怒ってますよ、今。絶対許さない。謝りにくるまで。冗談じゃない。

そのためにね、自分の親父ですよ。ショックを受けてね、亡くなったんですよ。だから、亡くなったのは誰のせいだと言いたいんですよ。刑事でしょ。だから、絶対許さないですよ。今でも。絶対許さない。(涙)そうですよ、両親ですよ。悔しながら死んでいったんです(涙)」

佐藤「ここへ来る途中ね、空を見ながら『お母さんと、前来たことがある』って」

――この辺(横浜)に?

「東京見物ですよ。当時ね、自分の母親が生きてるときに、自分と兄と、妹、兄の息子で来たんですよ。東京見物に。一緒に来たんですよ。その時の母親、喜んでくれてましたよ(涙、涙、涙)。

お前ら、絶対許さないからな。絶対許すもんか(涙)。無実の人間をね、今日まで苦しめてきたんですよ、あの刑事たちは。それも何の話もないんですよ。謝罪もないんですよ。

一生許さないですよ、私は。だから、当時の刑事がね、私の家庭をめちゃめちゃにしたんだから……」

<転載終了 続きは上記リンク先で>

もし自分が菅家利和さんと同じ境遇になったらと怖くなりませんか?

17年もの間、何も悪い事をしていない菅家利和さんは刑務所で暮らしました。江川氏のページに行って詳細を是非ご覧ください。刑務所の生活はそれは酷いものです。罪を犯していない菅家利和さんを「犯人だ!」と決めてかかって刑務所に入れてしまった刑事、検察、裁判官!

そのために菅家利和さんは家族も亡くなられて、家庭は滅茶苦茶になってしまったのです。

検察は「頭から決めてかかって行動する」習性があるのでしょうか?

以前、ニュースで出ていたのでご存知の方もいるかと思いますが「飯塚事件」も久間三千年さんがDNA鑑定で犯人とされて逮捕されました。

久間さんはずっと無実を訴えていたのに、死刑です。

足利事件そっくりの事件で、冤罪を訴えた人が死刑に
処刑された死刑囚は本当に真犯人だったのか(菅家さんを支える会・栃木)

<一部転載>

足利事件発生から約2年後の1992年、 福岡県飯塚市 で小学1年の少女が二人殺される事件が起きた。

そして菅家さん逮捕から約3年後の1993年、1年間刑事に尾行されていた久間三千年(くまみちとし)さん(当時54歳)が、「科警研が行ったMCT118法DNA鑑定により、真犯人のものと思われる血液のDNA型と久間さんの型が一致した」として逮捕された。

彼は一貫して容疑を否認し続けたが、2006年9月、最高裁で上告が棄却され、死刑判決が確定してしまった。そして無実を叫びながら、昨年2008年10月、なんと、処刑されてしまった。再審準備中だったという。

今、関西では、この足利事件そっくりの冤罪事件が大きな問題となっている。

かたや足利事件では、DNA再鑑定が行われている。それなのに、かたや飯塚事件では、無実を訴えながら、最高裁で確定してからたった2年で処刑されてしまった。いったいどうなっているのだと。

<転載終了 続きは上記リンク先で>

飯塚事件 森法務大臣は死刑執行した理由を国民に説明せよ 1/2

久間三千年死刑囚、去年10月(2008年)死刑を執行された。足利事件で再鑑定の決定が出される2ヶ月前の事だった。刑の確定から2年しか経っていなかった。

-飯塚事件弁護団 千野博之弁護士
本当に衝撃的でしたね。と言いますのは、弁護団会議という形で再審に向けて準備をしようという会議をした直後だったんですね。で、この会議っていうのが、足利事件が再鑑定するようになったっていう報道の直後だったものですから。

▲是非、動画をご覧ください。

飯塚事件 森法務大臣は死刑執行した理由を国民に説明せよ 2/2

新しいマーカーを利用してDNA鑑定が行われた。古いマーカーでは菅谷さんは「16-26型」これが犯人と一致したとされた。科警研は古いマーカーの間違った判定も対照表に照らせば正しい判定が可能で16は18、26は30。つまり菅谷さんも犯人も「18-30」型になると主張していた。

日本大学医学部 押田茂寛教授
「18-30」がでるんだよねって思ってやってみたら、その頃は16センチ刻みのアレリックマーカーマーカーですから正確に出ますから、見たら「18-29」なんですよ。ひとつ違う。ひとつ違うって事は他人って事

菅谷さんは「18-30」型ではなく「18-29」型だった。
しかし裁判所は、提出されたこの検査結果を無視する。10年以上前のことだ。

▲是非、動画をご覧ください。

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最終更新日  2010.01.23 18:04:37
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