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わけのわからない日が続く シカゴ編

わけのわからない日が続く シカゴ編

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2020.06.13
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まだ自宅勤務?暴動は収まった?いつ出勤するの?
こっちはもう普通の生活やで!
東京は今でもコロナ禍の影響も色濃く残っているみたいだが、滋賀の田舎町では感染者もほとんど出ていないし、ほぼ普通戻ったと考えてもいいらしい。

私の方は3月から自宅勤務での激務でとうとう右手が動かなくなってしまったのだ。
マウス操作のやり過ぎである。

私はコタツの上のPC二台と側のテーブルにあるもう一台のPCの三台を使って滅茶苦茶忙しく働いている。
コタツの上がプロジェクトの司令塔になり、会社のラボで私の代りに実験してくれている者達に指示を出しているのであるが、ひどい時になると指示を出すのが5分~10分間隔になることもある。
私自身もコタツの上でプログラムコードを書きながら別のPC画面で実験の様子も見る。
そして時々ラボの中のコンピュータをリモートコントロールもする。

私は仕事関係の者達全員に私は還暦前のオッサンだし、腎臓にも爆弾を抱えているのでコロナウイルスに感染したらえらいことになる!と宣言しているので、周りの者達が私の代りに手足となってラボなどで働いてくれていることにそもそも私が激務になった原因があった。

シカゴ本社で働いてくれている者達だけと話すのなら9時~5時の8時間勤務すればコンピュータのスイッチを切るだろうが、海外支店のエンジニア達も手伝ってくれているのが問題であったのだ。
ほそみちはずっと自宅勤務なので24時間何時でもコンタクトしてもOKだという話が海外支店のエンジニア達に伝わっているようだ。

現在私がやっているプロジェクトはシカゴ本社と中国とケンブリッジのエンジニア達が協力してくれている。
中国とシカゴの時差は13時間、イギリスのケンブリッジとシカゴの時差は6時間である。
つまりシカゴの夜の9時辺りに中国から連絡がある。
そしてシカゴの午前2時か3時頃からケンブリッジから連絡がある。

勿論彼らもシカゴとの時差をちゃんと理解しているので、私がリアルタイムに対応しなくても問題になることはない。
しかし私がその時に彼らの質問にリアルタイムに答えてあげることで彼らは何時間も私からの回答を待つ無駄な時間を過ごさなくてもいいと思えばついつい対応してしまうのだ。

今回初めて経験をしたのだが、私みたいに24時間対応みたいな感じで働く奴が一人いると凄く早いスピードで仕事が進んで行くのだ。
中国のエンジニア達と午後の9時ぐらいに指示を出した後にカウチの上で仮眠をし、午前3時頃にケンブリッジから連絡があった時は中国のエンジニア達からの送られてきたデータを基にケンブリッジのエンジニア達に次の指示が出せる。
そしてその6時間後にはケンブリッジのエンジニア達が仕上げてくれたものをシカゴオフィスのラボで直ぐに実験できるのだ。

普通に会社に出勤して9時5時で働いていたプロジェクトの進捗度から比べると自宅勤務の方が通勤時間もなくなったことを含め、3倍ぐらいの速さを感じる。

以前の日記に私のボスや元のボスがポルシェなどの高級車を何台も持っている不公平さのことを書いたが、コロナウイルス騒ぎでなくとも彼らは最初からずっとこんな風に仕事をしていたことを考えるとポルシェを何台も買える資格があると思ってしまう。
私のボスを含めグローバル企業のマネージャーというのは会議の結果によってはその日の夜にインドなどの海外に飛ばなければならないケースが少なくない。
我々の様な技術的な仕事ではなく、人間相手の仕事なので、交渉相手の顔を見ながら説得しなければならないことがあるのだ。

家が大好きな私としてはそういう仕事は絶対にしたくない人間なので、私のボスが驚くような給料を貰っていてもそんなに羨ましく思えないのはそれなりの理由があるのだ。

以前の日記に書いた新製品の発売は約二週間遅れてしまったのだが、今月末には決着が着くことになり、私の超人的な忙しさも来月になれば収まるだろう。
私は仕事のやり過ぎによって右手が動かなくなってしまったが、嫁さんがTargetで買ってきてくれた滅茶苦茶高い筋肉痛クリームのお陰で2日前から随分マシになって今日はこうしてブログまで書けるようになった。

嫁さんはここ三ヵ月間近で私が仕事をしている姿を真剣に見て、少し私への態度が変わってきている。
右手が動かなくなってしまった時はキーボードが叩けない分だけテレビカメラで指示を出して仕事の相棒に代りにやってもらうことが多くなり、家の中で私だけが英語でずっと話す時期があった。

こういう生活で一番困るのが家の中で着る服である。
普通ならシャツ一枚と楽なジャージのズボンかパジャマで一日を過ごすが、相手の呼び出しによっていきなりカメラがONになるので、いつもビジネス用のシャツだけは着ておかなければならないのが面倒なのだ。
下はジャージかパジャマであるが...
PC画面のOKボタンを押さなければカメラがはいきなりONにはならないが、呼び出し音を聞いてから服を着る時間はない。

アンタはXXX(息子)やGちゃんが話す英語に比べたら糞英語やで!とずっと言ってきた嫁さんであったが、ここ数か月間、私が同僚や海外のエンジニア達とガチガチの真剣勝負の英語での会話を聞いていると発音や文法がどうのこうのという嫁さんからのそういうイチャモンが一切なくなったことが自宅勤務で得た一番の得したことかなぁ...

嫁さんから馬鹿にされる大きな一つの理由が消滅したことは私にとっては結構嬉しいことなのだ。

まぁ...何だかんだ嫁さんに言われてもこの二十数年間、私の下手な英語で仕事して、お金を儲けてきたのは事実であることを嫁さんは今回やっと判ってくれたような気がする。
シカゴで暮らし始めた頃に比べると私の英語も随分流暢になっているのは明白であるが、その分だけ嫁さんも英語が上手くなっているので嫁さんにとってはいつまでも私が英語が下手だと思われていたのだ。

話はごろっと変わって、友人のアドバイスについて話す。

やはり私の友人の言う通りであったと私は思ったのでGibsonの正規なギターケースをネットで購入した。
私が日本に帰国して無職になり、お金に困ってギターを売らなければならなくなった時にGibsonギターはGinsonの正規のギターケースと共にセットで売らないと日本では随分値段を下げられてしまうのが本当だということが判った。

アメリカではそういう物が揃っていなくても本体は本体だけで評価してくれる。
それは米国企業と同じで人を学歴だけでは判断しないのと同じかもしれない。

私がGinsonの正規のギターケースを買わなかったのはお金を節約したかったからである。
Gibsonの正規なギターケースはあまり頑丈ではないので、ギターをそのギターケースに入れて送ってもらうには頑丈な木製の梱包が必要であり、それには余計な費用がかかったのである。
$1000ぐらいまでの安いギターだったらそういうことはしないらしいが、高価なギターを郵送する時は店側としても輸送保険が適用する頑丈な梱包にする必要があるらしい。
輸送保険が適用する頑丈な鉄製の頑丈なギターケースにすればそういう木製の梱包が必要ないので結構な金額のお金を節約できたのである。

中身のギターだけが重要であって、ギターケースなんてその時はどうでもいいと思っていた。
それでお金が少しでも節約できるならそれに越したことはないと思っていたのだが...

日本に帰国することを考えるようになってからである。
その友人の言う通り、日本では正規なギターケースを付けて売る方が高く売れると思う。
「開運なんでも鑑定団」というTV番組のDVDを知り合いから貸してもらうことがしばしばあるのだが、それを観ているとアンティークでも品物の箱があるのと無いのとでは鑑定金額が大きく違うのである。
日本に帰国してからそのGibsonの正規なギターケースは買えないかもしれないし、買えてもアメリカの価格より遥かに高くなるのはよく知っている。

そして私は運が良かった。
コロナ禍の影響でGuitar Centerなどの大手楽器チェーン店は長い間クローズしており、楽器店は現在相当に苦労している。
私は3年前にそのギターを買った楽器店に電話して私はそのギターケースを約半額で手に入れることが出来たのだ。

ギターを買った3年前からその楽器店のウェブサイトでどんなギターが置いてあるかを時々見ているのであるが、つい最近にその店で多くの商品が半額セール期間になっていることを知った。
ネットでバーゲンセールが行われていたのだ。

楽器などの商品はウェブサイトで在庫ありと書かれてあっても電話をして確認することが重要である。
大手楽器店のウェブサイトでの購入なら問題ないと思うが、一品ものの楽器は前日にその楽器が売れていてもウェブサイトを更新するのが遅れているケースがあり、そのウェブサイトでカードを支払いしてしまえばお金を返してもらうのに結構手間がかかる時があるのだ。
日本の店の店員さんと同じレベルだと思ったら大間違いであることを言っておく。







しかし嫁さんが言うのだ、これ本当に必要だったの?と...

嫁さんが言うのも御尤もなのである。
嫁さんは私が楽器にお金を使っても一度も文句を言わない人であるが、このギターケースだけは別であった。

なぜなら私はそのギターケースは使う予定がないので駐車場の物置にそのまま置いておくと言ったからだ。
私が何処かのジャズバーなどで演奏する時や音楽仲間の家で演奏する時に運ぶためのギターケースは私が以前に送ってもらった頑丈な鉄製のギターケースの方が遥かに安全であるからだ。
車で轢かれても大丈夫である。

それに比べ、Gibsonの正規なギターケースはもろい。
車のトランクに入れて移動中に重いギターアンプが上に倒れてきたら中に入っているギターまで割れてしまうかもしれない。
はっきり言って実際には使えない見かけだけのギターケースである。
しかし売る時にはそれがあるとないとでは友人の言う様に日本では金額が大きく異なるようなのだ。

そこで嫁さんが更に不思議に思ったのである。
私は常々将来にどんなにお金に困ってもあのギターだけは絶対に売らないと言ってたからだ。

以前の日記に詳しく書いたが、Tom Holmes自身が製作した直筆サインが裏面にある伝説のギターピックアップを搭載したGibson ES-335を購入できたこと自体が非常にラッキーであり、そのギターだけはどんなにお金に困っても売る積りは毛頭ない。

使う積りも売る積りもないのなら嫁さんの言う様に確かに全く買う必要がなかった物なのだ。
嫁さんが不思議に思うのも無理はない。

でも読者の皆さんもこういう感じになったことはないだろうか?

自宅勤務で滅茶苦茶ハードワークをしていて、息抜き時にたまたま開いたサンディエゴの楽器店のウェブサイトでコロナウイルスの半額バーゲンセールをやっていたら何かを買ってみたいと思ったのだ。
Guitar Centerのウェブサイトで同じギターケースの値段を調べたら、ビギナー向けの安いギターが買えてしまう程の金額であり、それだったら買いたいと全く思わなかった物である。
そういう事って読者もないだろうか?

送られてきたギターケースをそのまま物置に仕舞ってしまうものなので、どうしても必要な物でもないことは完全にバレているし、私も言い訳する積りもない。
貧乏サラリーマンの私としては半額バーゲンセールと聞けばなんかワクワクしてしまうし、何かが自宅に送ってくるのも一つの楽しみになるのだ。

そういう時は余計な屁理屈を言わずに本音をそのまま嫁さんに言った方が納得してもらえることを結婚34年間で学んだ。

何か半額で買えたらうれしいやん!それに何かが送ってくるものワクワクするし...

そりゃそーやなぁ!気分転換になるやろ。それやったらええねん。アンタがいきなり送ってきた物を物置に仕舞うから...

こういう物は送ってくるまでが楽しみで、実際に物が目の前に着て、触って品物を確認した後は興味が無くなってしまうのである。

嫁さんも文句は言えないはずだ。
Stay Homeになってから嫁さんはAmazonやいつも行っているペットショップのオンラインで随分沢山の物を買っているからである。
愛猫華ちゃんの玩具とかトイレとか特別なグルメの缶詰セットだとか...華ちゃんの物ばかりで私の物は一切ないのだが。

毎日の様に玄関のピンポンが鳴ってドアを開けてみると配達された商品が前に置かれていたものだ。

それにしても嫁さんの注文したものが多すぎるので恐る恐る”華ちゃんの缶詰が最近いやに多く届くね。また華ちゃんの好き嫌いが始まったん?”なんて言ったら、それは違うと嫁さんが反論した。

注文した缶詰と違う種類の物が届いたので電話で送り返すと言ったら、オペレーターは新しい物を送るが届いた物はそのまま使ってくれればいいと言われたそうなのだ。
ウェブサイトで注文間違いを指摘して、電話も掛けたものだから、一度の注文で3倍の商品が届き、その全てを返品しなくていいと言われたそうだ。

同じことが嫁さんがオンラインで注文したiPhoneカバーにもあった。
違う色の物が送ってきたので電話を掛けたら新しい物を送るので届いた物はそのまま使ってくれればいいということであった。

最近間違った商品が配達されることが少なくなく、その度に嫁さんはその会社に電話して文句を言うと新しい物を送るので届いた物はそのまま使ってくれというのものばかりであった。
iPhoneカバーなんか、間違って送られてきた方を気に入って使っている。

こんなこともコロナ禍の影響かもしれない。

これもコロナ禍の影響だろうか、まだ基本的には自宅勤務を命じられているGちゃんは料理に費やす時間が長くなったせいで最近の嫁さんとGちゃんはどちらが美味しい料理を作るかの自慢のし合いが段々と激しくなってきている。
嫁さんは出来る料理のネタ切れになってきていたらしく、とうとう嫁さんは今週は手抜きの奥の手を使ってしまった。
しかし私にとってはドクターから腎臓結石の主な原因になるので禁止されているカニを久々に食べられたので嬉しかった。

Gちゃんは小麦粉と厳選されたオーガニックの材料を使って手間暇かかる料理を作るので、嫁さんは今回の料理の写真を撮る時に私に美味しそうに食べている笑顔をしてくれという注文が入った。
嫁さんの魂胆は判っている。
私がどうしてもカニを食べたいと言うから今週はそれにしてやったとGちゃんに無言の言い訳を伝えたいのである。







そしたら直ぐにGちゃんと息子から連絡があり、あの時にあれだけ腎臓結石で痛い目に遭ったのにまだそんな物を食べているのかとしっかり叱られてしまった。
あの時は息子が連絡した翌日の朝一番の飛行機でワシントンDCからシカゴの自宅まで来てくれて、車で病院まで連れて行ってくれた。
その後の一週間私の看病をしてくれた。
嫁さんが日本に帰国していて私が家で一人だった時に確かに息子にあの時は迷惑をかけた。

すると嫁さんは息子達をなだめるのである。

オヤジはこのところ家で凄く頑張って仕事をしてくれていたのでたまにはご褒美をやらないと可哀想だと...

どの口が言っているのかと思った。
嫁さんの方から今夜はカニを食べてくれ!とお願いされたのに...

黙って息子達に叱られるのも夫の立派な仕事だということを言っておく。


※追記 [6/14/2020]

やっぱりそうなったか!と私は納得した。

嫁さんはカニは好きではないのだが、息子と私はカニが大好物!
だから私がカニを食べている姿を息子に見せてやったら息子は羨ましがるだろうという意図もあった。

Gちゃんは嫁さんと同じくカニやエビがそんなに好きではない。
Gちゃんはエビにある種のアレルギーがあるので息子達が来た時はカニとエビは除外する。
でもGちゃんは息子がカニとエビが好きなので普段の料理に使う。
今回もそうであった。

Gちゃんは昨日の我々のカニに対抗してエビ入りのパエリアを作った。
厳選したパエリア用のお米を日本のご飯の様にゴシゴシ洗わずにさっと水で流す程度にしておくのがコツらしい。
そしてGちゃん特製の中国の調味料とサフランで下地のスープを作り、基本的な味はイカやエビなどから染み出す自然な美味しさを活かしていると言う。
エビそのものを除けばエビから染み出す成分ぐらいならGちゃんは大丈夫らしい。





私みたいにカニをバクバク食べるのは腎臓結石を患っていなくても身体に悪いと息子達は言う。
息子の体重だと3個以上のエビを食べると内臓の色んなところに負担をかけるので健康的な料理ではないとGちゃんは言う。
出汁を取るためにエビは使うが息子には出さないらしい。
厳密に言うなら健康/不健康と言うよりも長生きをするための身体作りと言ったほうが正しい。

今から10年前ぐらいの話だが、長生きできる方法、というより老化を防ぐ方法が科学的に証明されたことが世界的にニュースになり、日本でもNHKの特集があったり、サイエンスゼロという番組でも詳しく説明していた。
食事のカロリーを普段の30%削減すると発見された長生き遺伝子のサーチュイン遺伝子が活性化されるというものである。

どのTV番組でもその研究を説明するために映し出されたのは息子とGちゃんが所属していたウィスコンシン大学マディソン校の研究室。
世界中の大学の中でウィスコンシン大学がこの分野の最先端なのだ。
息子とGちゃんは直接にはその研究には関わっていないが、日本のTVに出演しているコメンテーターよりも詳しく知っていると思う。

サーチュイン遺伝子を活性化するには単純に糖分を減らした食事をするだけでなく、他にも色々とあるのだが、その辺は興味があればネットで直ぐに知ることができる。
同時にその遺伝子を不活性化させるのも糖分を多く含んだ食事をするだけでもない。

難しい話は横に置いておくが、サーチュイン遺伝子を活性化させることによって、単に長生きするだけでなく、アルツハイマー病や動脈硬化を予防できる作用もある。
私にとってはそっちの方が予防できたら結果的に長生きするような気がするのだが、息子達科学者にはそれは別問題らしい。

今でこそ、超ハイテク機器を使ってそういう遺伝子の作用について科学的に証明されたが、そんなことは昔の人達は既に知っていたことである。
”腹八分に医者いらず”ということわざが日本にもあるし、アメリカでも”An apple a day keeps the doctor away”というのがある。
勿論中国にも同様のことわざがあるのは言うまでもないだろう。

しかし好きなものを腹一杯食べたいという気持ちは誰でもあるんじゃないか。
マディソン校の研究室で息子が研究し始めた頃、長生きを研究しているチームがあることを話してくれたものであるが、あの頃は息子がシカゴの自宅に帰省した時はよくカニを腹一杯に食べさせてやったものだ。
今でこそGちゃんに感化されて私に生意気に注意するようになったが、あの頃は下痢になるほどタラバガニをバクバク食べていたのに...

我々はCostcoでいつもカニやエビを買う。
特別に設けらえたブースがあり、新鮮なカニやエビを買えるのだ。

Costcoでカニやエビを買う時のことである友人のアドバイスを思い出した。
私のブログは読者を誤解させる記述があるので注意するように言われたのだ。
私のブログを読むと渡米した時は英語を全く話せなかった家族が苦労してアメリカで生活していけるようになったというイメージがあるらしい。
英語を全く話せなくともアメリカに来てしまえば何とでも生活して行けるという間違ったイメージを与えていると言うのだ。

このブログを読んで、行けば何とかなると言ったイメージがあるなら本当に申し訳なかったと思う。
しかし幸いにもシカゴやLAやNYといった大都会では日本語で殆どの物が買えるスーパーマーケットや美容院や病院があるので、英語を話さなくても生活はしていけるが、それ以外の地域では英語を話す必要がある。

嫁さんがシカゴで暮らすことを決めてから実際にシカゴに来たのは半年後なのはその間に嫁さんと息子は駅前留学をして必死で二人で英語をカナダ人から習っていた。
だから私はそれまでは会社近くの安いビジネスホテルで単身赴任をしていた。

例えばCostcoでカニを買う時に英語で「カニを1ポンド分、下さい。」という一番簡単な英語さえ言えなければアメリカで暮らして行くのは不可能ではないが、かなりストレスが溜まる生活になってしまうことは言うまでもないだろう。
ミツワの店内でさえ英語で話さなければならない場合もあるのだから。

うちの馬鹿な嫁さんでも半年間駅前留学すれば何とか一人で買い物も出来るし、役所で手続きも出来るし、運転免許を取る時に検査官の簡単な英語も理解できるようになった。
渡米して先ず最初にやらなければならないのは運転免許を取ることである。

アメリカのFederal Lawでは日本で国際免許証を作ってもらえば一年間は有効であるが、アメリカは国が集まった合衆国なのでシカゴではイリノイ州の法律が適用される。
つまりシカゴでは国際免許証を持っていても住み始めてから三ヵ月以内にイリノイの運転免許を取らなければ無免許運転として逮捕されることになる。

アメリカでの運転免許を取るのは技術的には非常に簡単だ。
簡単なペーパーテストを受けると三年以上の経験がある者が助手席に乗れば一般道路を運転できる。
日本人の場合、国際免許証があるので自分一人で運転して免除センターに行ける。
自分の車に検査官が乗り込んできて、あっち行け、ここを曲がれ、ここで止まれ、と指示されたまま10分ほど運転して元の場所に戻ってきたらそれでおしまい。
車庫入れテストなんて難しいものは全くない。
広い道路をゆっくり運転するだけである。

しかし私の周りには意外にも失格になる人が少なくないのだ。
それは検査官の言うことが理解できないので次に何処に行くか判らなかったからだ。

例えば、隣に座っている検査官が「次の信号を右に曲がれ」と言うのも人によって色んな言い方がある。
それは日本語も同じだろう?

At the next traffic light make a right hand turn!
Turn right at the next light!
Make a right turn at the next intersection!

上記のどれも「次の信号を右に曲がれ」であるが、私の知人はintersectionという単語の意味が解らなかったので、その場で失格であった。
もうその知人とは随分前に音信不通なったので時効だと判断し、私が言うけど、せめて"I don't know the meaning of intersection!"とか"What is intersection?"を言っていれば絶対に失格にならなかったと思う。

その知人は「intersectionって何?」という英語すら言えなかったと言うが、その英語でアメリカに住もうと思うのは勇気のある行動とは言えないと私は思う。

私が嫁さんがシカゴに着いてから二週間後に運転免許の試験を受けた時にアドバイスしたのは検査官が言ったことを復唱することである。
検査官が次の信号で右へ曲がれと言われたら"I'm making a right at the next light."と言うのである。
もし嫁さんが聞き間違って左に曲がるところを右に曲がっても失格にはならないと私は思っている。

検査官は受験者が右に曲がるのと左に曲がるのと車を路肩に停車させる能力、最後にバックで車をUターンさせる能力を検査しているだけであり、嫁さんの英語の能力を検査しているわけではない。
もし間違って左に曲がるところを右に曲がっても"I'm making a right at the next light."と言っておけば検査官はこの受験者は英語が下手だと思うが、ちゃんと安全に右に曲がることができたら検査官は次に左に曲がれと言うだけのことである。
幸いにも嫁さんは検査官の言うことは100%理解できたので何の問題もなかったが。

私の意見であるが、アメリカで生活するのに中学英語さえちゃんとマスターしていたら何とか生活できるものだと思っている。
我々の時代は中学で3年、高校で3年、大学の一般教養で2年、合計8年も英語を勉強しているはずだ。
仮に中学しか出ていない者でも中学英語さえマスターしていたら主婦としての生活は出来るはずだと私は思っている。

繰り返しになるが...スーパーマーケットに行って「このカニ、3パウンド分を下さい。」とさえ言えることが出来なければ相当苦しいストレスフルの生活になると私は思う。

Can I have three pounds of crab please?

このブログの読者の中でこの英分の中で判らない単語がある人はいないだろう。
中学さえ真面目に卒業した者であれば普通に言えるはずである。
嫁さんの様に半年間も駅前留学すれば中学の頃に勉強したことを思い出すので問題はなくなるだろう。

嫁さんなら1パウンドでどれだけのカニが買えるかが判っているが、私が買う時は判らないので「$100分のカニを下さい。」と店員さんに言う。
シカゴに来た当初、私に英語を教えてやると豪語してた知人がこれを言えなかった時は思わず笑ってしまった...
うちの嫁さんでも言える英語を言えない者は決して英語が話せると言わない方がいい。
もっと言うなら「少しは英語が話せます。」とも言えないと思う。

Can I get $100 worth of crab?と私は言うが、嫁さんはCan I have as much crab as for $100, please?と言っていた。
息子が聞いたらもっと適切な英語がある!と叱られるかもしれないが、両方確実に通じることを言っておく。

私としてはアメリカで生活したいと思っている人達に”英語の壁なんて大したことはない!実際に来てしまえば何とかなる!”と確かにそんな風に書いていたのは事実である。
そして友人の親戚の娘さんがシカゴにある大学院に留学しようと下見に来た時に自分の英語では大学での勉強どころか、普通に生活も出来ないと判断したそうだが、国立大学を卒業する娘さんがうちの馬鹿な嫁さんより英語が話せないとは夢にも思ってなかったことだ。

もし私がこのブログの読者にその様な誤解を与えていたなら、申し訳ないと思う。

でも中学英語さえしっかりマスターしていたら、アメリカに来れば何とかなるのも事実であることも言っておきたい。
Costcoでカニを買う時に英語で「カニを1ポンド分、下さい。」さえもすっと出てこないのであれば、少しは英語が話せるレベルではなく、全く英語が話せないレベルであることを認識しなければならないと思う。
難しい英単語は一つのないのだから...

それこそミツワやテンスケといった日本語が通じる店しか行けないし、ミツワに行く途中で警察に車を停められた時に警察の指示に従わなかったら最悪の場合逮捕される可能性だってゼロではないのだ。
実際に知人がスピード違反で止められた時に警官が言った言葉を理解できず、勝手に免許証や車の登録証を積んでいたかどうかを確認するためにダッシュボードなどを開けていたら、余計なトラブルになったのだ。

警官の言うことに従わずに勝手に車から出たり、ダッシュボードなどを開けてゴソゴソしていたら警官にとっては銃でも取り出すのではないかと思ってしまうからだ。
警官から免許証と車の登録証を出せと言われてから警官の前で取り出すものである。
警官にとっては運転者が英語が理解できる者だと思って対応しているので、勝手に胸のポケットに手をやったらいきなり撃たれてしまう可能性もゼロではないということも知っておいてほしい。

因みに、その友人の高校の英語の教師の友人も私のブログを読んでくれていて、SNSで”調子の良いことばかりを書いたら私まで誤解してしまいますよ”と時々お叱りのお言葉を頂くのであるが、自分で書いていると気付かないことが沢山あることを教えてくれる。
確かに英検二級程度の英語力では米国企業で英語で仕事はできないだろう。
Costcoでカニを買う時に使う英語のレベルとは違うコミュニケーション力が必要とされる。

でもこのブログの読者はそんな勘違い野郎ではないし、第一に米国企業に就職する時の面接試験で落とされるのは間違いない。
言われてみれば、過去の日記に”中学英語さえしっかりマスターしていれば日本人が誰もいない米国企業でも英語で仕事できる!”と何度も書いている。

もう一度言うが、このブログの読者は馬鹿な人達ではないので、英語オンリーの米国企業で自分が仕事が出来るかどうかは普段仕事場で同僚達や取引先と日本語で話していることがすっと英語で出てくるかどうかで判断できるぐらいことは判っている人達である。
極当たり前の話だが、普段仕事場で話していることが英語で出て来なかったり、逆に仕事内容の相手の英語が理解できなかったらそもそも仕事自体が出来ないのである。

私が言いたかったのは政治や宗教やアメリカ文化のこと、いやそこまで行かなくても、会社帰りに同僚達と居酒屋で一杯飲んで帰る時の世間話の英語の会話にはついて行けなくても時間が経てばそういうくだけた英語は段々と理解できるようになる。
それは事実である。

アメリカの大学に留学した私の妹やアメリカ育ちの息子にすればよくそんな英語で仕事できているものだと変に褒められてしまうほどの勘違い英語を話す私であるが、これまでの二十数年間私は英語で仕事してお金を儲けてきたし、去年はエンジニアとしての最高の栄誉であるAce Awardも頂いた。
これは立派に私の”中学英語をしっかりマスターしたレベル”だけでちゃんと米国企業で働ける証拠でもある。

ただし中学英語をしっかりマスターしていなくても英検二級は取れることも事実である。
英検は英語の下手な日本が勝手に作った問題であり、問題内容も受験テクニックのコツさえ知っておけば点数が取れる仕組みになっている。
もっとわかりやすく言えば、虫食い問題にちゃんと適切な英語を入れることが出来ても、その問題そのものの文章を英語で一から組み立てられるかが本当の英語の実力である。
前述した様に難しい英単語を私より知ってて、ちゃんと英検を持って人がCostcoに行って”$100分のカニを下さい。”という英語がはなせなかったのだから...

私は高校の英語の教師のような英語のプロフェッショナルな人に楯突くわけではないが、中学英語さえしっかりマスターすればアメリカで働けるという私の持論を訂正する積りは毛頭ない。
それは私が実証していると思っている。
確かに中学で学習する英単語だけでは仕事はできないという指摘も事実である。
私は小学生の頃から洋楽を聴きまくっていたので、英語の辞書は常に使っていたし、中学でも高校でも特別な勉強をしなくても英語の点数は常に良かった。
今やネット時代なので、我々の学生時代と違って英語に触れる機会が桁違いに多いと思う。

やはり学校の先生なので生徒達が英語を軽視し、安易な気持ちでアメリカに働きに行ったら痛い目に遭うことをしっかり教えてやりたい気持ちは私もよく理解できる。
このブログを読んで私みたいな者でもアメリカで働けるなら自分も出来ると安易に判断する者もいるかもしれない。
ぶっちゃけた話、それでもいいと私は思っている。

私の様に渡米したのが三十代後半、嫁さんも子供いる状況だったので、失敗して子供や嫁さんに絶対に迷惑をかけられない境遇であった。
だから英語のこともその他のこともしっかり判断し、十分に準備もした。
そういう境遇の者達は上記に書いたことも十分に考慮するべきだと思うが、独身で何でもできる身分の人、特に若い人達はハッキリ言って”何でもアリ”だと私は思っているのだ。

笑われるかも知れないが、私の妹のNY留学時代の友人の男性の様にたまたま旅行でいったスペインの港町の風景があまりにも素晴らしすぎたのでそのままその港町に住んでしまい、漁師になってしまった奴がいる。
スペイン語なんて全く話せなかったのにだ。
そこで知り合った漁師の娘と結婚して今は何人もの子供がいる。

東京の某出版会社の社長の息子だったのであるが、親は高いお金を出してNYに留学させていたのに大学を卒業したらスペインで漁師になると言いだしたのでひと悶着があったようだ。
私の妹はその友人のコネでちゃっかり東京のその出版社に就職を得た。
その出版会社と大手広告会社の電〇と赤坂のTBS局内でイベントの企画の会議があった時に現在の広告マンの夫と知り合い結婚した。

妹は言うのだ、あの人は絶対に東京でネクタイ締めて会社勤めが出来ない人だったと。
NYで最高の教育を受けたからスペインの田舎町で漁師になることがどれだけ価値のあることかが理解出来たと彼は妹に力説していたそうだ。

妹はアナウンサーとも友達だったらしく、NYからのズームイン朝で画面の隅に一般人として目立たないように出演していたことを私はお袋から聞いた。
Skypeもネットもまだ存在しなかった時代に妹が実家のお袋に元気な姿をリアルタイムで見せられる唯一の手段だったと言う。
大学も仕事も夫もブランドを追いかけた妹と違って、妹のその男性の友人は本当の幸せを見つけたのではないかと私は思っている。
と言うのも妹からの話でそれを感じたのだ。

この港町の漁師の殆どはロクに学校も卒業していない奴ばかりだが、その街で漁師になることが一番の幸せであることを知っていた。しかし僕は大学院で勉強し、色んなことを勉強させてもらったからその価値をやっと理解できた。だから僕は馬鹿だ。でも死ぬ前にそれに気付いた僕は随分賢くなったと思わないかい。親父がこれまで僕の教育の為に使ってくれたお金があれば僕は自分の船を一隻買えたけど、それは贅沢な後悔というものだろう。

私にとっては漫画みたいな話であったが、全て事実なのである。
彼はそのまま父親の会社に就職すれば世間では羨ましい生活を送れたかもしれないが、彼は一度しかない人生を大切にしたと私は思っている。
彼の真似をしろと決して言っているわけではないが、世界は広いので自分の居場所は日本だけだと限定するのは勿体無いことだと私は言いたいのである。
スペインに遊びに来てくれたら東京のどの高級レストランでも味わえない新鮮な世界一美味しい魚を食べさせてあげるといういつものセリフが書いてある絵葉書を毎年もらうみたいだが、妹はまだ一度も行っていない。

私は日本企業で随分冷や飯を食わされていたことを何度もこのブログに書いている。
東大出身の美人OLでも会社でイジメに遭って自殺するケースが日本ではある。
人種の坩堝であるアメリカでは少々おかしな英語を話す者でも仕事さえ出来れば優遇してくれる土俵があるのだ。
日本の会社で辛いことがあったら日本から逃亡して、アメリカを含め、海外で働くのも”アリ”だと私は言いたいのだ。
日本の中だけで働くことを前提としていたら、東大を出た者以外は負け犬になると言っても大きな間違いだとは私は思わない。
日本というスコープから世界というスコープに視点を置くと星の数ほど仕事の選択肢や生き方の選択肢が現れて来るものであることを私は言っておく!
私は経験者である。

漁師になった彼の実例から判るように世界には色んな仕事があり、その国の言葉をほとんど話せなくても出来る仕事なんて探せば幾らでもある。
先ずそういう固定概念から崩していくと毎日見ている同じ風景でも違った風景が見えてくるものだ。

私の様に電子機器メーカーで開発エンジニアとして働きたいと思えば、日本の会社で同僚のエンジニア達と話している日本語能力と同じ程度の英語の能力が無ければ仕事できないのは前述した通りであるが、私が成れなかったミュージシャンという職業であればそういうのは殆ど関係なく一緒に仕事できると言っても過言ではない。
実際にまともに英語を話せない若者がシカゴにやってきて短期間であるが現地のミュージシャン達と演奏しているのをこの二十数年間に何度も見ている。

真面目な人達が外国で働くことをイメージしたらちゃんと大学や大学院を出て...といった感じであると思うが、エンジニアや研究者になろうと思えばそれで合っているが、そういうのを全く必要としない仕事も世界には幾らでもある。
ミュージシャンとか、そういう特別な才能を持っている者達だけが通用する仕事ばかりが目立ってしまうが、実は手の器用な日本人の得意技を上手く利用すれば世界では幾らでも仕事を見つけられるチャンスが多いと私は思う。
狭い日本の中だけにある職種は限られれており、その中だけで選ぼうとすると一度切りの人生が勿体ない気がする。

還暦が目の前にあるオッサンにはもうこのまま最後までエンジニアを続けるしかないが、私がまだ三十代前半までで、気ままに動ける独身であったなら海外で挑戦してみたい職業は幾らでもある。
あまり具体的なことや過激なことを言うとまたお叱りを受けてしまうのでこの辺にしておくことにする。

世界地図を見て欲しい。

日本の様に周りが海に囲まれていて、単一民族で国民全員が同じ言語を話す環境は非常に珍しいのだ。
世界の殆どの国は陸続きに国境がある。
つまり常にその国の母国語を話さない人達とも一緒に暮らしたり仕事をしているのである。
その国の言語を100%確実に話せなくても仕事が出来る国は非常に多いのだ。
しかもTOYOTAやHONDA,SONYといった優秀な製品を世界に送り出している日本国民は世界で評価されているので海外で仕事を得やすいということもこのブログで今まで伝えてきたことだ。

日本で疲れ切ったなら、海外に逃げろ!世界の何処かに必ず自分に合った居心地の良い場所がある!というのがこのブログで私の言いたいことの大きな一つである。
私は日本の会社の陰湿な体質を嫌というほど味わった人間であり、日本でどうしようも行かなくなって手首を切るぐらいなら、取り敢えず世界で一番寛容であるアメリカ便の飛行機に飛び乗れ!と私は言いたいのだ。

本来なら一番安い海外行きの航空券を買える国でも何処でもいいから飛び乗れ!と言いたいところであるが、韓国はやめたほうがいいので、その辺は少しは冷静に判断することも必要だ。
何れにせよ、日本人の常識が通じないところで暮らしてみると色々なことが見えてくるのだ。
先ず自分のそれまでの固定観念をぶっ壊すことが新しい自分の可能性の発見の鍵になる。
現在働いている会社の中では気付かなかった自分の強みが肌で感じてくるようになる。
また自分の強みだと思っていたものが、通用しないことにも気づくのであるが...
何れにせよ、私があの時に日本企業に留まり、これまでの二十数年間を理不尽で陰険な日本人の上司の下で自分を殺して仕事を続けていたらストレスで癌になっていたかもしれないと本気で思う。

私は日本企業でも働いていたから言えると思うのだが、日本企業の職場はほんとに特殊な環境であり、本来なら経験しなくてもよい余計な精神的な苦痛をどれだけ受けていたのかを日本を離れて初めて判った。
それは前述した様に日本は周りが海に囲まれていて、単一民族で国民全員が同じ言語を話すという特殊な環境から生まれた副作用だと思う。
中国やインドにしたって同じ国民でも5以上の言語があるし、年始に出張したオランダでも社内ではポーランド語も飛び交う。
そもそもヨーロッパやアメリカでは同じ国民でも髪の毛の色や目の色まで違うのが普通なのだから...日本人の様に社内のある女性の眉毛が他人よりも少々濃いなんてことは誰も気にしないものである。

今から思えば笑えることであるが、実は40歳代初めに美容師さんの強いお勧めで髪の毛の色を黒と赤の中間色に染めたことが一時期あったが、家族や日本人には結構ウケたのに、いきなり翌日に私の髪の毛が赤色になっていても同僚達はほとんどそれを気にかけてくれることがなく、こうなったら丸坊主にするしかないと思ったことがある。

人の人生って一回しかないので、もし我が家がシカゴで暮らしたことが大きな間違いだったとしても嫁さんはそれはそれで面白い人生になっただろうと言う。
このブログに何度も書いているが、シカゴで暮らし始めることは嫁さんが決めたことである。
嫁さんが言うには人は誰でも生まれた場所を持っており、失敗すれば元の場所に帰ってくればいいだけの話だいう滅茶苦茶な考えは今でも私は正しいと思っている。





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最終更新日  2020.06.15 17:39:42
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