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カテゴリ:ショートストーリー
生まれて初めてのアンカー
「おかしいなあ!」 泰代は、朝から不思議そうな顔をしている。 「どうしたの、おばあちゃん」 隣に住んでいる息子夫婦の家から孫の宏志がランドセルを背負ってやってきた。 もうすぐ、学校に行くのだろう。その前に優しいお婆ちゃんである泰代の様子 を見に来たのだ。 「お爺ちゃん、いつになったら、帰ってくるんやろう。6時頃、外に出ていっ て帰ってこおへんわ。どこまでジョギングに行ったんやろ。朝ご飯作って待って るのに」 7時30分をさしている時計を見ながら、泰代は悩んでいる。 「何言ってるの。お婆ちゃん、お爺ちゃんは、仕事に行ったんやで」 小学校1年生の宏志に教えられて、やっと分かった泰代だった。 夫の健司は、60を過ぎても相変わらず忙しそうだ。 それに引き替え、泰代は、相変わらず お気楽奥様である。そうこうしているうちに、宏志も学校に行ったようで、一 息ついている泰代を呼ぶ声が聞こえてきた、 「奥さーん」 窓から顔を覗かせた泰代は 「今日、バレーボールの日やった」 と手を叩いた。 泰代は、55才になるが、毎週2回、ママさんバレーボールをやっている。 そんな泰代に町内運動会のリレーの選手にならないかと声がかかった。 子供の頃から、鈍足で、かけっこに出ても、いつもの後ろから数えた方 が早い順位なのだから、リレーの選手なんて一度も選ばれるはずのなかった泰 代である。 「私、できるかなあ」 と言ったが 「60メートルだから、何とかなります」 と、有無も言わさずオーケーさせられてしまった。 なにしろ、55才にして初めての体験である。 しかしながら、初めてであるからには、10代の少女であろうと、 50も半ばの孫のいるオバちゃんであろうと同じである。 3時のレースまでに紆余曲折があった。 とにかく、前日は、ほとんど眠れなかった。 隣りに住んでいるくせに滅多に姿を見せない長男が興味 本位に運動会にやってきた。 誰が知らせたのだろうアメリカ留学している次男も 「おかあさん、ケガしたらあかんで」 と電話をかけてきた。 泰代と正反対でリレーの選手常連の夫の健司に 「どうしよう」 と甘えてみたが、健司は冷たく 「ハハッハア・・そんなもん走ったらええんや」 と言うだけ、 「妻の一大事に優しい言葉すらないのか、こんなヤツとは離婚してやる」 とカッカして、どうなることかと、ソワソワしているうちに、気づいたらトラ ックに立っていた。 「お婆ちゃん、ガンバレ」 孫の黄色い歓声が聞こえる。 心臓が口から飛び出しそうに踊っている。 小学生・中学生・高校生・20代・30代・40代とバトンが受け継がれ、とうとう5 0代でアンカーの泰代のところにバトンが渡ってきた。 前の走者の大健闘で、なんと一位で走りだした泰代だった。 走り出すと、ソワソワが無くなった。 思うように動かない足を懸命に動かした甲斐あって、なんと、そのまま一位でテ ープを切った。 感動のゴールだった。 たかが、町内運動会と言う無かれ、泰代 にとってはオリンピックの金メダルよりも価値ある一位だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.08.23 08:06:08
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