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中心となる特徴 共感性の欠如 無邪気で、穏当を欠く、一方的な人への接し方 友人関係を作る能力の欠如か、希薄さ 過度の細かく、繰り返しの多い話し方 非言語コミュニケーションの乏しさ 特定の関心事に強く凝り固まる 動作の不器用や組み立てのまずさ、姿勢のおかしさ 社会的ふるまい おはよう、遊ぼうって言う変わりに『9×9=81』といきなり言う。 突拍子もない社会行動は、非常に人目を引く事がある。 社会行動の様子 社会性の欠落 対等の仲間関係を作る能力に欠ける 対等の仲間関係を作ろうとする意欲に欠ける 人からの社会的サインの理解に欠ける 社会的・感情的に適切ではない行動 非言語コミュニケーション 社会行動の欠落 身振りを示す事が少ない 不器用・ぎこちないボディランゲージ 表情が乏しい 表現が場面に合わない 視線が奇妙で、よそよそしい 社会行動の得意な性格 具体的には触れられたくなかったいくつかの側面、つまり人から超然としている、人の気持ちを感じる事が難しい、人の事を見ない、人に『目でメッセージを送る』ことができない、人によってき過ぎる、などのことが強調されてる。 年少のASの子供は、私的空間の観念に乏しく、そこに侵入して、人に不快感を与えるまでになる。 社会的遊びで、互いの関心、活動、感情などを共有したり、社会的文脈に合わせて行動を調整する事に欠けるなどが強調されてる。 その子供が相互のやりとりを一方的に支配してしまう事がある。 流行のおもちゃやファッションにみんなが夢中なのに無関心だったり、パーティにあまり招かれなかったり、本当の友達がほとんどなかったりする事がある。幼いうちは、自分一人で遊んだり、兄弟姉妹との遊びに満足しているので、こうした孤立的な状態を気にかけない事もある。もっと、大きくなると、やがて自分の孤独さに気がついて、仲間達と親しくしたいと真剣に思うようになる。しかしそのときには、彼らの人との遊び方は幼くて、柔軟性がない事が明らかとなり、仲間達から拒絶される事が多くある。これは、たぶん両親にとって最も悲しいときの一つ。 暗黙の行動基準 社会的ふるまい方の暗黙のルールに気づいてないと見られ、人を怒らせたり、困らすような行動を、故意にではなくしてしまう。その子供達は、間違いではないが人を困惑させるような、個人的な事柄を去々することがある。 例えば、10代のAS、会話を急に止めて、相手の歯並びの悪さについて大声で喋り始める。観察は鋭いのかもしれない、会話のスムーズな流れに役立つ事ではない。 コンピューターにとりつかれた彼は、近所で新しいコンピューターを買うという両親の会話を聞きつけると、すぐさまその家に入り込んで、その新しいマシンをいじり始めた。問題は、それが既に夜の11時過ぎで、その家の人はもうベットに入っていた事でした。その子は、何故その家の人達は一階に侵入者がいると最初は不安に思ったのか、そして彼が許可を求めなかったことに対して、その後で何故怒られたのかが判らず、まったく途方にくれていた。 ふるまいの規則をいったん説明されると、その子供は規則を厳格に適応する事がある。 ふるまいの規則が実際に破られた時には、得てしてクラスの警官のようになり、それに何の隠し立てもしない事がある。 例えば、ある子供が、先生が教室で注意を逸らしたすきに、他の仲間を喜ばそうとわざとイタズラをしたとする、誰かがふざけをした事に気づき『誰がした?』と問う。長い沈黙を破り、誰がしたかを知らせるのはAS。彼は、他の子供達が秘密を守るという規則を破った事への非難の視線を浴びせているのに気づいてない。他の子は、規則を皆で無視すると決めているのにASの子は、その規則を皆に押しつけようとする。 時として、無作法さが顔を出す事ある。親が知人の集まりで話している時に、親の気をひこうとして、大声で、『おい!お前』と呼ぶ。親は他の人と一緒にいる時には、他に適切な言い方がある事を、明らかに判ってはいなかった。その子は衝動的で、最初に浮かんだ言葉を、それを人がどう思うかは無頓着に、すぐ口にした。初めてに人は、その子は野蛮で思慮に欠ける、好き勝手に育ってきたのだろう、と考えて、親に不信の視線を向けたり、そうした通常でない社会的ふるまいは、親のふがいなさの結果に違いないと思い込む。『やれやれ、お子さんを2週間お預かりすれば別人のようになりますよ』という申し出があるかも。親としては、喜んでお預けしたい、そうすれば休息も取れるし、事情も判ってもらえると応じてもいい。周りの人達が、子供は野蛮ではないのだが、より如才ないふるまいや、自分のした事が他人にどう思われるかは判ってない事を理解するのはとても重要。 社会的生活ストーリー そこに適したふるまいや言葉遣いを含めて、その場面について述べた短いストーリー 短いストーリーを作る事で、ある状況に結びつく社会的手掛かり、期待される行動、そして、そこで何が起こり、それは何故かなどの事実関係から、その状況を描き出す事が出来る。 4つのタイプがある 事実文:その状況の生じる場所、それに関わる人、その人達の行うこと、その理由などを客観的に明らかにする 心理文:その状況に関わる人達の反応、感じる事を必要ならば理由も交えて述べる 監督文:その状況で本人がする事や、何を言う事が期待されているかを明示する 自覚文:その状況で本人がする事や、理解の仕方などを思いだすキッカケとなる事を提示する これは、子供自身が自分の特別な興味などと関連させて、自分で提案して書く事が多い。 これら4タイプの文章のバランスが必要で、監督文が多過ぎたり、事実文や心理文が少なすぎるのを避けねばならない。 0~1個の監督文や自覚文に、2~5個の割合で事実分や心理文を置く事を勧めてる。 さもないと、ストーリーが『いつ』『なぜ』の説明を抜きにした『すべきこと』になる。 用いる言葉は、子供の年齢と読解力、それと注意の持続力などに見合ったものにする。 学校には、いくつも部屋があり、その一つが食堂です。(事実文)たいていは、生徒達は、食堂で昼食を食べます。(事実文)生徒達は、昼食のチャイムが鳴るのが聞こえます。(心理文)昼食のチャイムが鳴ったら、それは食堂の入り口に並ぶ事を告げる合図である事を生徒達は知っています。(心理文)私たちは、早く来た人達に公平であるように、そこに列を作って並びます。(心理文)そこでは、来たもの順に、一人一人が列の一番後ろに来ます。(監督文)僕もそこに来たら、列の一番後ろにつくように努めます。(監督文)他の生徒も、お腹が空いているので、お昼を早く食べたいと思っています。(心理文)。僕は、自分が昼食をもらう番になるまで、列の中で静かにしている等に努めます。(監督文)昼食の行列は、亀と同じで、進み方はとてもゆっくりです。(自覚文)それは、止まったり、進んだりします。(自覚文)先生は、僕が列の中で静かに待てた時には喜んでくれます。(心理文) 徐々であれ、ASの子は、社会的ふるまいの規則を学んでく、それは自然な直観による以上に、知的な分析や知識の修得に基づく。彼らは、何をすべきかをじっくりと考えねばならない。実際ほかの子供なら、考えることなくすぐに反応する時に、彼らは、何をすべきか、何を言うべきかを考える時間がかかる。ASの子供は、考えることをとても必要としている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.09.24 14:20:19
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