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カテゴリ:ひょうたん日記
全日本愛瓢会の湯浅浩史相談役によると、ひょうたんの名は誤解から生まれたそうだ。
孔子の愛弟子、顔回(がんかい)は清貧で一汁一菜のような生活を送っていた。そのため食器 は汁を入れる瓢(ひょう)とごはんを入れる箪(薄く削った竹を編んだ器)しか持っていな い。それを孔子は「一箪(いったん)の食(し)、一瓢(いっぴょう)の飲(いん」と論語で 述べている。後にそれが「箪瓢」になり、平安時代にいつの間にか逆に「瓢箪」と取り違えて 解釈してしまったという。 確かに、以前記載したチューさんもひょうたんの語源で孔子の論語がある。 孔子の論語 この論語には庶民が不平不満ばかり申す中で、唯一回が楽しんで生活している。 それは何を意味するのか? 自分が置かれた環境の中で、工夫しながら生きていることなのではないだろうか・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年04月14日 20時27分16秒
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