問題は問題ではない
葛藤が葛藤を呼ぶ時代となりました。葛藤をなくすには葛藤しなければいい、非常に単純なのですが、その選択が出来ないのは、葛藤していることにおける状況や事柄が「問題」だと認識している時です。「問題」と認識した途端に、それに対する対応策を考えようと葛藤し始めます。問題は解決しなければならないという思考を生みます。問題に見えていることは問題ではなく結果です。症状も問題ではなく結果です。結果となる原因をつくったのは意識です。外側のことを問題と認定して執着してしまうと、その葛藤がまた別の葛藤を生み、正に雪だるま式となります。自身が雪だるまの中心となって、周りに雪がついて行くほど、重くなり状況が見えにくくなります。これは二極化の起こる具体的現象です。問題に見えることを問題としてとらえることをやめ、自分の内面に入った時に初めて状況が動き、ことの真髄に気付きます。雪だるまの中心から懸命に外を見ることをやめ、見えないのなら見えないまま今認識できるところに行きます。それは外側ではなく、内側です。こうして多くの場合、方向転換の機会を得ようと外側の世界を重く不快にしていますが、そんなに重くせずとも、自分の意思で方向転換をすることは可能です。極に行かずとも方向性を変えられることが可能だと知り、自らそうすることを希望・選択すれば、この三次元から上の次元で生きることを自らが選択することになります。「極」という概念自体はこの三次元でこそ可能だからです。次元上昇と言っても、そもそも私たちは多次元的な存在ですので、どの次元にも存在しています。ですが、今この肉体を持ってどの次元で生きるかは選択が出来ます。その選択をするか否か、そのこと自体が次元上昇に繋がります。三次元からの次元上昇を目指すに当たっては、現実は自らが創造しているという意識を選択することはもちろんですが、その先にはエゴや自身がホログラムであることなどに意識を向ける可能性が出てきます。先んじてそういったことに取り組んだ時、三次元において問題と感じられる事柄はなくなります。意識は既に三次元を中心には生きていないからです。