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カテゴリ:PRACTICE=SWORD
高重量のTrainingに打ち震える筋肉、Pumpが来ているのだ。
筋肉が盛り上がり、心地よい痛みが私を襲うのである。 現在は、Trainingをできる状態の体ではないので、飽くまでも、これは回想録として書いている。 さて、私の亡き伯父が武士道に生きた人だったため、学生時代から家を尋ねてはその極意を学んだ。彼は居合道の達人だった。毎年、正月に武道館で行われる武道会の演武は、最大の名誉であったのだ。 年の暮れになり、遊びに行くと目を輝かせてその話をしてくれた。いわゆるLive Stageであるから細心の注意を払って練習していると話してくれ、それを実演して見せてくれた。蒼く光る真剣の重みと凄み、刀を持つと表情が変わった。 そこには、いつもの柔和な伯父の顔はない。ただ、宙の一点を見つめる寡黙な武士がいるだけであった。 静かだが、もの凄い気合と気迫である。 空気がピンと張りつめる。その瞬間ビュッと刀が空を切るのだ。 本物の持つ凄みを目の当たりにして体が震えた。 そういう影響なのか、私が体を鍛え出したのも、伯父がいうところの日々の鍛錬によるところが大きいのかもしれない。私は、Musicianだが、いわばGuitarは刀のようなものなのだ。 昔の武士のように学問、心、体の鍛錬は怠ってはならないのである。その象徴が刀であり、Guitarであるのである。 最近では、Last Samuraiなる映画が人気を博した。この映画を見ている途中で図らずも涙が止まらなくなってしまった。そこに、70歳を過ぎても鍛錬を怠らなかった伯父の面影を観たのであった。 彼が亡くなってから、時は過ぎ17年という時間が経過したが、その魂は脈々と私の中で生き続けているのだ。 その志は俺が継いでいるのだ。 なぜなら、私はGuitar侍だからである。 刀の代わりにGuitarを持ち世の中をぶった切ってやるのである。 それが彼の意思でもあるのだ。 私の歌、それは魂の叫び。すべてを吹き飛ばしてやるのだ。いわゆる気のEnergyの固まりである。 彼の遺志も継ぎ、これからの世の中を全部ぶった切ってやるぞ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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