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カテゴリ:PRACTICE=SWORD
考えて考え抜く人がいる。
物事にもよるが、考えると言う行為が人をだめにすることもある。以前語ったことと逆のことをあえて言うが、考えすぎるのは、No Goodである。 待機説法的に相対性をもたせた語り口が、私の本分であるので堂々と逆を言ってしまうのである。 物事に絶対と言うことはあり得ないのである。すべては相対的事象により成り立っているのであるからして、比較対照法をやめてしまうのがいいのである。迷う人のため言い切ってしまうと、考える前に直感が働かないといけない。 考えると言う行為は、飽くまでも知的経験的動作を伴うので答えを出すのが遅すぎるのである。直感だけで答えを出すのがもっとも望ましい。はっとして悟って、それで終わりである。ものの1秒もかかりはしないのだ。 特にIdeaを持ち味とする場合、とかく知的感覚に頼っていろいろと考えるが、果たしてそれは良いことか?音楽を創る場合などは、考えて創ると言うよりはっと閃くことが多いのである。それをどう実際の音に置き換えるかというときは、多少考えるが、あとは直感で勝負である。いつでも同じやり方に固執せず新鮮味をもたせながら自由にやればいいのだ。 それに物事の相対性を絶えず意識していれば、こだわりがなくなるから別の次元から余裕を持って眺めていられるのだ。 抽象的な言い回しをあえてするが、言わんとするところを汲んで読んでほしい。 それは、いくらうまく説明しようとも、考えを活字に置き換えた時点でその本当の意味を汲み取るのが困難になるからだ。それは、わたしが感じるものとあなたが感じるものは、決して同じではないからだ。 あなた自身が、それをこうだと、自力で感じなければいけないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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