物事を極めて行くと、いつの日かその山の頂に辿り着くだろう。
そうすれば、また次の山があなたを待っているのである。
最初の山を上るときはおそるおそる登っていくから途中でいろいろ考えたり迷ったりすることだろう。
しかし、一つの山を極め次の山に向かうときは、もう前のように雑念に悩まされないでいるはずである。それは、信念に裏付けられた自信に充ちているからであり、雑念から解放された「無心の境地」に入りつつあるからである。
物事が上達し、無心の領域に入る時、人は自然と一体化するのであり、自動的に身体や考えが反応するのである。そこに迷いはなく、「行雲流水」の如く振る舞うのみである。そこでは、円形には円に、方形には四角くぴったりと対応するのである。
自然に逆らわず、流れに身を任せるのが極意であるのである。流れに逆らってばかりだと、いつかは大波に流されるのは時間の問題であるのだ。
これは、もっとも、人に合わせるという意味ではない。より、高次元の境地だ。
言わば、もはや些細なことには、心を動かされない天地と一体化した心境を指すのである。
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