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テーマ:1・17阪神大震災(158)
カテゴリ:食べものネタ
今から丁度、10年前。阪神大震災が起きた。
震災の前日に、転勤して東京に住んでいた友人が遊びに来て「東京って、地震が多くて。この前、スナックでカラオケ歌っている時。震度4の地震が来て、こう、酔ってるんじゃないのかなと思うぐらい、こんなに、ぐらぐらになって、揺れながら歌ったよ」なんて言っていたほど、阪神地区は、地震とは、全く無縁だと思いこんでいた。そんな感覚の地域だった。 そこに、震度7の地震がくるなぞ、夢にも思っていなかった。 おそらく、被災した殆どの人はそうだったと思う。 これは、日本一の生産量を誇る日本酒の産地、灘五郷の酒蔵たちも、きっとそうだったに違いない。それだけに、地震で失ったモノは、精神的にも大きなダメージとなる。 だか、そこから、生み出されたものもある。その一つが「空蔵」である。 「空蔵」は、神戸の魚崎の友達の酒屋に教えてもらったお酒です。 この酒屋も、震災の時、棚に置いていたお酒が落下し、殆どの酒瓶が割れてしまい。30-50センチぐらいの割れたガラスが敷き詰められていたそうです。その上、店の中は、床が湾曲し、店内にいると、どこか歪んでいて、平衡感覚がおかしくなり、気分が悪くなるような状態でした。 その店の裏側を、二筋ぐらい南に行ったところに、「空蔵」を作っている浜福鶴銘醸がある。 ここは、震災で、蔵が全壊してしまいました。 友人もこの蔵の近くに住んでいて、明け方、トイレに行っている間に、被災して、長屋が全壊。一辺が60センチほどの三角形の隙間が偶然空いて、そこにうまくはまったおかげで、助かったのだ。 さっきの酒屋の主人は、近くの消防団の団員として、近所の倒壊家屋の救出活動に従事し、生存者と遺体をかなり救出したそうな。 そして、密集した住宅地は、全壊した家が、道路を塞いでしまったため、車が通るどころか、人がどこを歩けばいいか解らないほどの瓦礫の山になっていて、誰かが住んでいた家の瓦礫の上に、掘り起こして出てきた、畳を縦に並べる事で、通路として表示し、人々は、瓦礫の回収が終わるまで、そこを通って生活をしていた。 それにしても、阪神高速道路が、約2メートルぐらい、ずれて、来ていたんだけど、よく落ちずにすんだものだ。落ちていたら、酒屋も、高速道路の下敷きになっていたに違いない。 近くの神社の本殿は、倒壊し、その横の公園には、自衛隊が陣取って、炊き出しを行っていて、暖かい汁物などを配っていた。つい、2週間ばかり前に、初詣に行って、その年がいい年でありますようにと、お祈りしたのにね。 そんな、南魚崎地区の状況の中で、この浜福鶴の杜氏が、阪神大震災で全壊した蔵の跡地に立ったとき。「空しか見えない。」とつぶやいた言葉から「空蔵(くぞう)」名付けられました。 「空、つまり、無から生まれた酒。」震災によって多くのものが失われたが、多くのものが生まれたものもある。その一つが「空蔵」というお酒です。 震災から、10年経ちましたが。未だにダメージが大きいという印象があります。 確かに、ルミナリエとかで、観光客の数は戻ってきたかもしれませんが。未だに、復興住宅での孤独死があるし、地場産業と言われるところは復活していません。 灘のお酒も、その一つで、震災で生産能力が落ちいてる間に、東北や新潟の日本酒に押された後。焼酎ブームで、日本酒自体の人気が下がってしまい、苦戦を強いられています。 西宮あたりでも、大手日本酒メーカーの敷地は、相次いで、大手電機量販店や日曜大工の店や紳士服の量販店などに変わってしまい。かつての風情のある酒蔵の街ではなく。どこにでもある、郊外の街に成り下がってしまいました。 そんな中で、全壊した蔵を、観光蔵「吟醸工房 浜福鶴」という風にしたり、震災を機に新しいコンセプトの付加価値のあるお酒にした。この蔵の努力は、並大抵のものではないと思う。 楽天でも買える「空蔵」 ちなみに、私は、生詰の「純米吟醸 空蔵雄町」がお気に入り。すっきり、フルーティです。 昨日、結婚パーティで、みんなに飲んでもらいました。でも、このお酒の由来を、会場に来た人には話せませんでした。祝いの席で、主役が取り乱してはいけないと思って。 それでも、このお酒は飲んで欲しかったのよね。そうでなければ、自分がやってられない。 ※空蔵を飲んだ後には、酒飲みのお酒、大黒正宗かも。昔、灘五郷酒造組合のイベントの仕事をやっていた時に、はまっちゃいました。 それと、観光蔵もなかなか楽しい。 ここの2階をイベントスペースとして使った事もあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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