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カテゴリ:徳本の水泳
柳井商工水泳部。1960年代に全国優勝3回を数え、東京、メキシコオリンピックにも現役 選手、またOBを出した水泳界の名門である。そんな、富田中学時代に水泳を始めて背泳ぎで 山口県体で2位の(全国中学校水泳大会標準記録突破するも予選敗退。)選手がそんな名門 柳井商工へ入学したのである。実のところ父親が大工なので建築科にも行きたかったわけで す。1968年、一年生のときは、二年生がいなくて(全員やめていた。一年生も最初は10 人くらいいたが、最後に残ったのは3人だった。)1964年東京オリンピックの長距離の コーチをされた末広監督がおられた。インターハイは64年優勝、65年二位、66年、67 年と優勝し68年の呉市のインターハイへ3連覇を目指して行くも、あのミュンヘンオリンピ ックの平泳ぎの金メダリスト田口選手の新生尾道高校へ敗れて二位となりました。そののちに 末広監督は国士舘大学に行かれて、コーチの澤田先生が監督となりました。それからの私は、 背泳ぎから個人メドレーに転向してどんどんと伸びるわけです。3年生のときは400M個人 メドレーでインターハイ、国体と優勝できて、末広監督のおられる国士舘大学へ進みます。 そんな、伝統のある柳井商工ですが調べてみると昭和5年卒業生から昭和62年の卒業生まで 名前のある方が175名おられます。プールがないときは後ろ池というため池で板を作って ターンをしておられたようです。そんな水泳部のお世話をさせていただき、事務局として始め てのOB会を平成14年に、記念誌を18年に作りました。ただし、記念誌が一冊も残ってなか ったことと、たまたまOB会のご家族の方から問い合わせをいただき、数冊は作ろうということ となりました。今回は、地元の周南市(徳山、新南陽)には図書館に寄贈させていただくよう に考えております。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
あだち充「ラフ」に、上記の内容について記載しました。
もしよろしかったらaccessしてみてください。 (2022.03.31 15:16:57) |