共にいる
久し振りに、まとまった時間ができた。だからといって、良い文章が書けるわけではない。昨日から浮かんでいる言葉は、「共存」そして「共生」だ。共にある。同じ場にいる。言葉にすると簡単だが、実際には意外に難しい。家族でも、職場でも、学校でも、いつの間にか上下関係が生まれる。教える人。教わる人。導く人。導かれる人。医療もそうかもしれない。医師は説明し、患者さんは理解しようとする。催眠療法も同じだ。セラピストは導き、クライアントは導かれる。そこには、どこか上下の関係が生まれやすい。ミルトン・エリクソンは、そのことに気づいていたように思う。セラピストとクライアントは、本来同じ場にいる。共にいる。その関係性の中で、変化は起きる。何かをしようとしない。指図をしない。安心できる場を共にする。その中で、必要な変化は自然に現れる。私は最近、そんなことを考えている。そして、それが「萩原式観照催眠療法」の立ち位置なのかもしれない。