カテゴリ:カテゴリ未分類
再生可能エネルギーが温暖化防止にとって有効だ、と根拠なくそう断定していたのは、紛れもなく国連とその周辺にいたエセ知識人たちだった。交流電流についての基礎的な知識をもつ者が一人でもいたなら、再生可能エネルギーが温暖化防止にとって何の役にも立たない、ということは敢えて説明するまでもなく、明らかな事実となっていた筈であるからだ。 蒸気発電を行っている火力発電所と原子力発電所のそれぞれは、蒸気発電から離脱することができないまま、蒸気圧を高めた状態を四六時中維持していなければならない。これは交流電源にとって、絶対条件となっていることであるからなのだ。 この事情をまったく知らない、交流電流について無知で善良な人々は、太陽電池が生んだ電力を取り出した分だけ、火力発電所の負担が軽減されている、と事実関係を確認しないでそう決めつけた。電池と名のつくものは総て直流電源であるのだが、直流電流が増えることと交流電流が減ることとの間には、どのような相関性も存在してはいないのだ。この部分にみられる認識の錯誤が、再生可能エネルギーに対する異常な盲目的信仰を、集団的意識の底深くに人知れず刷り込んだのだ。 電力会社が再生可能エネルギーで発生させた電気を、大量に買い取っているからといって、それが需要に応じてどこかで有効利用するために、再販売されているとしてきた証拠はどこにもない。電力会社が買い取った直流電流が、どのようにして周波数を一致させ、国内需要にどう対応することができたのか、という経過を確かめた痕跡は確認されていないのだ。火力発電所の出力をどう抑制することができたのか、という所期の結果を担保した事実は存在しておらず、その記録さえ誰も見たことがないほどだ。 それができていなかったからこそ国は電力会社に、経営負担となっていた買い取り価額の引き下げを許し、電力料金に太陽光付加金を新たに上乗せする、という制度を導入して損失を国民に圧しつける形で転嫁した。意図された糊塗を実施するための行為、であることは言うまでもあるまい。 再生可能エネルギーに対する国連の判断に、重大な瑕疵があったということを、世界中が知るときがいずれにせよいつか必ずやってくる。権威として振る舞ってきた国連の愚かさに、地球人一同がまったく気付いていなかった、ということがこの不毛きわまる状況を、四半世紀以上の長きに亘って、執拗に悪化させつづけることとなったのだ。気候変動を気候危機へと変えてしまっていたその背景には、当事者の総てが批判精神を一斉に失っていた、という負の共通点が深く関わっている。 再生可能エネルギーに関する投資のすべては、環境の復元にまったく寄与していないのだ。高額の環境投資が有効化されていたとする事実は、ひとつとして確認されたものがなく、期待のすべては損失の闇へと消え去っていた。経済成長が成り立っていなかった理由の一つは、環境投資が有効需要に結びついていなかった、というその事実にこそあったのだ。 温室効果が平均気温を高めるという事実を、この先の時代に於いても前提としていたいというのなら、その前にエンタルピー(エントロピーではない)が導いた数式に準拠して、熱収支の動態変化とその過程の確認を、世界中の知識人たちがこれまで、何故一様に避けつづけていたのか、という疑問を解いておかなければならない。それが為されていなかった。甚だ不思議なことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021/12/19 07:58:35 AM
コメント(0) | コメントを書く |