《このページは新聞を使って「主体的に学ぶ」ための新企画です。新聞記事をもとにして、社会問題を調べてみたり議論してみたり-。月に一度、学習で利用しやすいテーマをピックアップして掲載していきますのでご利用下さい》(産経WEST 2017.4.11 14:51)
というのであるが、その記事があまりにもお粗末である。
《近年、南海トラフで発生する南海(なんかい)・東南海地震(とうなんかいじしん)についての研究や情報が増えています。そしてこの地震は間違いなく起こる、とさえ言われています。どうしてそう言えるのか、直前に知ることはできるのか、起こったらどうなるのか-一人ひとりが真剣に考え、備える必要があります》(『新聞で学ぼう』「いつ来る!?南海トラフ地震」:4月8日付産經新聞12面)
滅茶苦茶である。「この地震すなわち南海・東南海地震は間違いなく起こる」とどうして言えるのか、学生一人ひとりが考えてどのような結論が得られると言うのか。直前にこの地震が起こるのを知ることが出来るのかなど考えても意味がない。地震予知が出来ないこと地震学の知見に依るものであり、個人個人が考えることとは位相が異なる。この巨大地震が起こったらどうなるのかを考えたところで何が出てくるというのか。
《歴史上、この地震は100年から200年ほどの周期で繰り返しています》(同)
南海トラフ大地震が周期的に起こると誰が言えるというのだろうか。それはたまたまのこととも言え、次の大地震がいつ起こるのかは神のみぞ知るということでしかない。
《昭和の南海東南海地震から70年以上が経過しています。歴史から学ぶとすれば、「もう来ない」とは誰も言えないということです》(同)
この論理も滅茶苦茶である。70年以上が経過しているから、あと30年から130年の間に南海トラフ大地震が起こる可能性が高い、というのならいざ知らず、<「もう来ない」とは誰も言えない>などとわけのわからないことをどうして言い出すのであろうか。
私も南海トラフ大地震が起こらないとは言っていない。周期的に起こると思うのは間違いだと言っているのである。
《次の地震がいつくるのか、は今の科学ではわかりません。従って正しい知識で正しく備えることが大切です》(同)
<正しい知識>って何だ。<正しく備える>って何だ。
《国の中央防災会議(ちゅうおうぼうさいかいぎ)は、平成24年に最悪の被害として死者32万人以上という予測を出しました。そうならないために、自分が住んでいる地域の災害史を知ることは大切です。そして家族で普段から備えを話し合うことこそ、一番最初に必要な備えになるのです》(同)
<32万人>などという数値は変数を変えればなんとでもなる数値でしかない。<家族で普段から備えを話し合うことこそ、一番最初に必要な備えになる>などと一見最もらしいことを言っているようで、何をどう話し合うのかの基準がなければ<必要な備え>になるはずがない。
家族で普段から話し合わなければならないことは地震以外にもたくさんある。否、地震以上に話し合わなければならないことがもっとたくさんあるのではないか。
こんな記事で学ぶことは絶対にあってはならない。