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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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平成ソクラテス

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2017.11.08
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カテゴリ:思想・哲学
《平和主義とは無条件の戦争放棄ではなく、あくまで自らの野心に突き動かされた侵略戦争の否定であり、これは国際法上も違法である。もしも我々が他国によって侵略や攻撃の危機にさらされれば、これに対して断固として自衛の戦いをすることは、平和国家であることと矛盾するものではなかろう。いや、平和を守るためにも戦わなければならないであろう》(佐伯啓思『異論のススメ』「憲法9条の矛盾―平和守るため戦わねば」:5月5日付朝日新聞)

 果たしてそうだろうか。戦後日本における平和主義とは絶対平和主義的な意味合いが強いように思われる。つまり、自衛戦争すら放棄するものではないかと思われるのである。

 1951年5月、米国上院外交合同委員会において、GHQの最高司令官であったダグラス・マッカーサーは次のように証言している。

《Their purpose ... in going to war was largely dictated by security.(彼らが戦争に飛び込んでいつた動機は,大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつた)》(『東京裁判 日本の弁明』(講談社学術文庫)pp. 563-564)

 日本の戦争は安全保障上のものだったとマッカーサーも認めているのである。憲法9条は大東亜・太平洋戦争の反省の下に定められたものだとすれば、「安全保障」のために戦うことすら認めないということになる。

 資源を持たない日本が石油などを止められてしまっては死活問題である。日本が戦争へと突き進んだのは、米国が石油の禁輸に踏み切るなど、日本を「兵糧攻め」にしたからである。が、それでも戦えないということは一切の戦闘を禁ずる「絶対平和主義」と考えざるを得ないのである。

《仮に、護憲派の人たちの言うように、「平和こそは崇高な理念だ」とするなら、この崇高な価値を守る為には、その侵害者に対して身命を賭して戦うことは、それこそ“普遍的な政治道徳の法則”ではないだろうか。それどころか、世界中で生じる平和への脅威に対して、我々は積極的に働きかけるべきではなかろうか。私は護憲派でもなければ、憲法前文を良しとするものではないが、そう解さなければ、“全世界の国民”の平和を実現する為に、「いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という憲法前文さえも死文になってしまうであろう》(佐伯、同)

 日本が「平和国家」であることが、戦争を食い物にしている国家にとっては都合が良いのである。火種を作って武器を売り付ける、多くの国が戦争で大枚を稼いできたのである。

 日本も他国のことを斟酌すればこそ、「平和主義」を貫いているわけである。

 勿論、このような言い方は斜に構えた言い方ではあるが…(了)





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Last updated  2017.11.08 22:00:04
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