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照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2021.01.18
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カテゴリ:時事問題

日本国憲法 第23条 

 学問の自由は、これを保障する。

ー 〇 ―

《最高裁の判例も取り込んで、23条の保障は研究の自由にとどまらず、成果を発表する自由、大学などでの教授の自由、そして大学の自治・自律に及ぶとの見解が定着した。

 いま注目の日本学術会議問題も、こうした議論の蓄積の上で考える必要がある》(12月8日付朝日新聞社説)

 たとえ<学問の自由>が大学の自治・自律にまで解釈が拡大されてきたとしても、学術会議までもがこれに含まれるかのように言うのは言い過ぎである。大学がなければ高等教育は成り立たないが、学術会議がなくても教育上おそらく何の支障も来(きた)さない。

《研究者の考えは長年の研究活動の上に形づくられる。それが政府の意に沿わないからといって制裁の対象になれば、学問の自由は無いに等しい》(同)

 学術会議に入れるかどうかは<学問の自由>とは関係がない。関係があるというのなら、多くの非学術会議員には<学問の自由>がないことになってしまう。

 学術会議員は或る意味「名誉職」である。学術会議に加わることで得られるのは<自由>ではなく<名誉>であろう。

《他の研究者や受講する学生らの萎縮も招く。「会員にならなくても学問はできる」といった言説が、事の本質を理解しない間違ったものであるのは明らかだ》(同)

 <事の本質>とは何か。<会員にならなくても学問はできる>というのは事実である。どうしてこれが間違っているのか分からない。

 また、政府の介入を嫌うのなら、民営化すればいいだけのことである。

《軍事研究は性質上、学問の自由の根幹である自主・自律・公開と相いれない。その危うさを指摘し、科学者の社会的責任を再確認した点に(軍事研究を否定した過去の)声明の意義はある》(同)

 <軍事研究は性質上、学問の自由の根幹である自主・自律・公開と相いれない>も意味不明である。<軍事研究>と<自主・自律>が相容れないなどということがどうして言えるのか。最後の<公開>は<軍事研究>と相容れないとは思われるが、<学問の自由>とは<公開>を前提としたものではないし、学問の成果を<公開>することは決して<自由>ではない。

 そもそも軍事研究を否定する方が、むしろ<学問の自由>を制限していると言うべきである。軍事に応用可能な研究まで一切否定するというようなことにでもなれば、<学問の自由>は有って無きが如くものになってしまいかねない。

 軍事に転用するか否かは別次元の問題であるとしなければ、飛行機も飛ばせないし、車も走れない、コンピューターも動かせない。今の軍事では「情報戦」が重要ということになれば、情報も扱えなくなる。

 反権力よろしく政府を批判したい、軍事に関わらぬ組織にしたい、というのであれば、さっさと民営化すればよいだけではないか。【了】






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Last updated  2021.01.18 22:00:07
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