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テーマ:時事問題評論(3069)
カテゴリ:時事問題
「ノー」と言えるカードを持ちながら「ノー」を言わないような失敗は、悔んでも悔み切れない。相手は、感謝などせずに、さらにカサにかかって、あらたな恫喝(どうかつ)をしてくるようになってしまう。ヤイターがはっきり言っていることなんです。日本には圧力をかけるのが一番いい、と。(盛田昭夫・石原慎太郎共著『「NO」と言える日本』(光文社)、pp. 125-126) 「お山の大将」では困るのである。国内では偉そうなことを言っていても、国外では「借りてきた猫」状態というのではお話にならない。 こんなことを言っていると、お前こそ大国アメリカを恫喝しようとして、危なくて仕方ない、などと妙な解釈をひねくり回す日本人がいますが、断わるまでもないことですけれど、屈辱的でない対等な日米関係というものが今こそ必要だから「ノー」と言うべきときには言っておくべきなのです。「ノー」をちらつかせて、バーゲンをしなくてはなりません。(同、p.126) 危なっかしいから石原氏には任せられないと言うのなら、降りかかる火の粉を払うべく自分が矢面に立つべきである。が、こういう人は往々にして交渉はせず、相手の言い成りに成り勝ちである。 「ノー」と言うべきときに「ノー」と言わない外交は、絶対日本のためにはならない。「ノー」と言えるだけの条件を日本は確実に築いている。私たちは、自分の持っているカードを有効に使えばいいのです。ポーカーのエースカードをうまく使うといった外交的なタクティクス(戦略)が日本人には不足しているということです。(同) 日本には外交における「戦略」がないどころか、外交交渉に打ち勝つ「気概」すら窺(うかが)われない。 もう日本を守ってくれなくて結構だ、俺たちは俺たちの力と知恵で独自にやるということをはっきり一度言うべき時にきているのではないでしょうか。もちろん、それなりの覚悟もしておかなくてはならない。国民的合意があればすぐにでもできるのですが、政治的にもまだ非常に困難ではあると思います。しかし技術的、財政的には十分、自主的な専守防衛体制をつくることはできるのです。むしろ今の防衛費を全部かけなくても、もっと有効な防衛体制がとれるのです。現実的には、ただちに日米安保を解消してなどというわけにはいかないが、そういう選択の可能性を頭から捨て去ることは、外交上のカードを最初から1つ放棄するのと同じだと私は思う。しかし、今となれば日本は安保を必ずしも必要としないし、現状程度なら自前で十分にやれる能力を持っているのも事実です。(同、pp. 149-150) これは肝の座った石原氏だから言えることで、去勢されてしまった戦後日本人が自主防衛に舵を切ることなどほとんど不可能であろう。が、米軍に頼らぬ自主防衛の方が、はるかに整合性がとれ、有効で効果的な防衛体制を築けるだろうことは、石原氏の言っている通りのように思われる。憲法9条があるために、自衛隊は専守防衛の「盾」に徹し、打撃は米軍の「矛」に委ねるという「欺瞞(ぎまん)」を一体いつまで続ければ気が済むのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.02.15 21:00:08
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