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テーマ:大東亜戦争(216)
カテゴリ:思想・哲学
木戸幸一は言う。 《天皇の国政に関する御立場はその基準は憲法にきめられている。従って陛下は組閣の度毎(たびごと)に首班に対して憲法の条章に遵(したが)い云々(うんぬん)とお下命(かめい)になる。ところでその憲法もその運用においては差違を生ずるが、元来日本の憲法(大日本帝国憲法)は独のそれを範(はん)として出来たものであるが、運用面からはむしろ英国の王室の在り方に近いものであった。 すなわち国政も統帥(とうすい)もすべてこれを内閣と統帥部の輔弼(ほひつ)と輔翼(ほよく)によってなされる主義であり、天皇自らが独裁的にやられたことは一回もなかった。無論天皇も国政や軍事についての御意見を述べられることはあるが、輔弼輔巽の責任者においてそれでもこうだと再度上奏された場合にはそのまま御嘉納(かのう)になり、拒否権を行使されることはないのである》(『木戸幸一日記 東京裁判期』(東京大学出版会)、p. 452) 天皇は政治に介入しない。何故なら、天皇は伝統に基づく存在だからである。伝統は、抽象的な方向を示せても、具体的な問題について、判断し、決断することは出来ない。だから、伝統的存在としての天皇は、具体的政治問題に介入出来ないのだ。 同時に天皇は、「祭り主」としての生きた側面も有(も)つ。そのため、しばしば天皇の声が漏れ聞こえてくるわけである。が、それはあくまでも「祭り主」としての天皇の声であらねばならない。だから、次のような説明には違和感がある。 《国政を総攬(そうらん)されるに当つて、天皇がその内閣の上奏事項に対し意見を異にされることは当然あり得ることであり、立前として天皇は国務大臣の輔弼によつて国政をなさるのではあるが、時には強い御意見を述べられることもある》(同、p. 454) 天皇は、政治とは距離を置くことが鎌倉期以降の伝統である。したがって、具体的政治問題に口を挟むことは慎(つつし)むべきはずだ。 《そのようなときは、内閣は天皇の御意見を充分考慮した上もう一度考え直すか、再議の結果それでもこうだということになつてそのまま御嘉納になるかのどちらかであるが、今上(きんじょう)陛下に関する限り、内閣の奏請を最後まで拒否されてそのため内閣の総辞職となつた例はなく、陛下から御意見があった場合においても内閣が考え直すか、さもない場合でも何とか調整がつくのが通例であつた。 この点明治天皇の場合は少し違つていたようであり、明治天皇は御気に召さぬ書類は何時も文箱の一番下においておかれて仲々御決裁にならなかつた》(同) これが確かならば、明治天皇は、少なからず政治的に振舞われていたということになる。明治政府による「天皇の政治利用」によって、あるべき「天皇像」に乱れが生じたことも事実であろう。が、帝国憲法を根拠として政治的に振舞えば、伝統的存在としての天皇と矛盾を来(きた)すこととなり、天皇の存在自体を危うくしかねない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.01.21 20:00:12
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