象徴天皇について(1) 象徴天皇はGHQがつくった
日本国憲法第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。★ ★ ★ この第1条にある「象徴」という言葉について少し理解を深めておこう。 GHQ民政局次長で米陸軍大佐そして日本国憲法草案作成の実務責任者だったチャールズ・ケーディス氏は、ジャーナリスト古森義久氏のインタビュー(1981年4月)に対して、次のように応えている。「SWNCC文書(日本の憲法改正に関する米国政府の公式方針「日本の統治体制の改革」)に書かれていた天皇についての方針はきわめて一般的なものだったため、それが実際、具体的になにを意味するのかは、私たちが推測しなければならなかった…たとえば天皇は政治的権限を行使することができないのなら、一体どんな存在となるのか。『国の象徴』とか『国民統合の象徴』といった表現は実は私たちがその起草の段階でふっと考えついて、つくり出したものなのです」(古森義久「象徴天皇は私たちがつくった」その4 ふっと思いついた天皇のあり方:Japan In-depth 2016/10/6) 実際、「ケーディス文書」には次のように書かれている。The Emperor becomes the symbol of the state instead of being the state. He remains as a focus and the center of respect around which the people’s thoughts, hopes and ideals can be fused into a cohesive whole, but forever deprived of that mystic power which has been used from time immemorial by unscrupulous leaders to exploit the people to evil ends. -- Charles L. Kades papers: Relating to the Writing of the Japanese Constitution (1947)(天皇は、国家である代わりに、国家の象徴となる。天皇は、国民の思想、希望、理想を結合した社会へと融合させることができる焦点であり、尊敬の中心であり続けるが、はるか昔から不謹慎な指導者が国民を悪用するために使ってきた神秘的な力を永遠に剥奪される) ケーディスの念頭には、「朕は国家なり」という言葉に象徴される17世紀フランスの絶対王政があったのだろう。フランス革命によって打倒された絶対王政と皇室の伝統を同列に扱っているところがケーディスの日本文化に対する無理解を物語っていると言えるだろう。実際は、18世紀以後の英国君主政のように、「王は君臨すれども統治せず」(King reigns, but does not govern)というのが、明治以降の立憲君主としての天皇の立場であった。 英国の保守自由主義者ウォルター・バジョット『イギリス憲政論』(1867)に「象徴」(symbol)という言葉が見られる。When a monarch can bless, it is best that he should not be touched. It should be evident that he does no wrong. He should not be brought too closely to real measurement. He should be aloof and solitary. As the functions of English royalty are for the most part latent, it fulfils this condition. It seems to order, but it never seems to struggle. It is commonly hidden like a mystery, and sometimes paraded like a pageant, but in neither case is it contentious. The nation is divided into parties, but the crown is of no party. Its apparent separation from business is that which removes it both from enmities and from desecration, which preserves its mystery, which enables it to combine the affection of conflicting parties—to be a visible symbol of unity to those still so imperfectly educated as to need a symbol. –- Walter Bagehot, THE ENGLISH CONSTITUTION: III THE MONARCHY.君主が神聖性を保持している場合には、これに触れさせないのが最上の策である。すなわち、君主はその行為について責任を負わないということを、はっきりさせるべきである。また君主を実際の尺度で、あまり正確に測らないようにすべきである。さらに君主を、孤立した超越的存在にしておくべきである。イギリスにおいては、君主の機能はほとんど目立たないので、以上の条件を満たしているといえる。君主は命令するかのようであるが、それを固執しているようには見えない。また君主はいつもは神秘のかげに隠れているが、ときには盛大な行列をつくって姿を現わす。しかしそのどちらの場合にも、論議をひき起こすということはない。なお国民は党派をつくって対立しているが、君主はそれを超越している。君主は表面上、政務と無関係である。そしてこのために敵意をもたれたり、神聖さをけがされたりすることがなく、神秘性を保つことができるのである。またこのために君主は、相争う党派を融合させることができ、教養が不足しているためにまだ象徴を必要とする者に対しては、目に見える統合の象徴となることができるのである。(バジョット「イギリス憲政論」:『世界の名著 60』(中央公論社)小松春雄訳、p. 100) GHQケーディスが反価値的にsymbolという言葉を用いたのとは対照的である。