|
カテゴリ:カテゴリ未分類
震災から1年を迎えようとしているからでしょう。 生きている人間だからこそ、何かできることをせねばならぬという思い。 そして、生きていることに胡坐をかいているのであれば、省みなくてはいけないということ。 それが昨今「想いにふける」ということが多くなっている理由かも。 天皇陛下が病身を押して哀悼の意をささげたいという「想い」。 日本に住む誰もが感じるであろう哀悼の「想い」。 それぞれ想いの対象や表現の方法は異なるけれど、3月11日は哀悼の日となることは、間違いない。 そして今テレビでは自衛隊の震災救難活動のドキュメンタリーを放映している。 食い入るように見ているのだけれど、自衛隊の活動には、本当に頭が下がります。日本に自衛隊がいてくれてよかった。本当にそう思います。 海自の小発に翻っていた日章旗。懸命に湾内を駆け回り行方不明者を探すその舟。 しかし、一部の市民には崇高な使命を遂行する隊員の労苦をおもんばかる前に、翻る日章旗に憲法第9条をなぞらえてアンチテーゼを発するのであろうとすれば、少々悲しい。それはそれで1つの考え方としては理解しますが・・・ 自分がすべてという主義だけではダメなんだ。アメリカ風の個人主義ではダメなんだ。 何もかも社会のせい、他人のせいにして自分を甘やかす人間ではダメなんだ。 そんな人間が「絆」の接点にいられるわけがない。自分が何かの核となっている、自分が認められるべきとでも思っているなら、その思い上がりを捨てるべきだ。 震災を契機に再確認された「絆」。 その「絆」とは、互いに助け合い、支えあい・・・認め合うことから生まれるのだから。
★がんばろう、日本。復興支援商品は楽天市場で!ここをクリックして被災地の味覚を!★ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
問題の解決には、意思が必要である。(Where there’s a will, there’s a way).
社会問題の解決には、政治指導者の意思決定が必要である。 そこで政治指導者を選出することになるが、意思のない社会においては、個人選びは個人の意思選びにつながるはずもない。 選挙は、いわゆる地盤 (組織)・看板 (名声)・カバン (資金) による選択になり、その結果は意思を離れた家畜の品評会のようなものになる。政治音痴の原因となっている。 日本人には、意思選びができない。何回選挙をしても意思決定には手間がかかる。 党員も個人の意思そのものを認めていないのだから、民主主義も形骸化している。党内野党もできて混沌となる。 http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/ http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/ (2012年03月26日 14時10分42秒) |