カテゴリ:イルカマニアの歴史
PSYCHEDELIXは、今や崩壊寸前でした。
怒りをぶつけた分、ドラムのハタはぼくにご機嫌を伺うようになり、ぼくの中でのドラムへの信頼は、もはや皆無に等しい状態でした。 その分ぼくの信頼は、まさみへと向けられていきました。 ある日、メンバー間での話し合いの中で、それぞれの選曲・プロデュースによるライブをやろうという話になりました。 アオキ君の選曲によるライブ、ハタの選曲によるライブを経て、3回目のまさみの選曲によるライブが決まった時、事態は最悪の結果を招きました。 これまで、ぼくがハタを厳しく押さえつけてた軋轢が、まさみの方に向けられた場面を、何度となくぼくは見てきていたのですが、今回はまさみによる選曲のライブであるにも関わらず、ハタはまさみの意見を覆そうとし、自分本位なペースに持ち込もうとしていました。 「じゃあもう好きにやればいいじゃん!!」 我慢できなくなったまさみはスタジオでハタに怒りをぶつけ、スタジオを出て行ってしまいました。 キレたもん同士、解り合えるというもの。 とりあえずぼくはまさみを追いかけ、家まで送りました、 もっとも、それでも怒りが収まらない我々2人は、まさみの家の近くで、深夜2時近くまで延々と語り合いました。 解散を決めたのはこの時でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jun 20, 2004 10:22:54 AM
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