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豊かな森のシンボル☆クマたちからのメッセージ♪

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2008年11月27日
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カテゴリ:自然保護
尊敬する県内の自然保護の大先輩、Kさんより
一冊の本の存在を教えていただいてから・・
ずっと探していたものが、やっと入手できました。

それが、『白山の埋み火(白峰村河内の存亡史)』という本でした。

白山の埋み火

トラスト地でご縁のあった地区出身の
加藤政則さんという方が著者でした。
加藤さんは残念ながら
本の原稿を入稿した直後に逝去されたそうで
同じく、その地区のご出身で、
お隣の山の地主のHさん
以前、お会いして貴重なお話を伺った方です)が
本の出版の代表となって
加藤さんを偲ぶ内容の文を
添えていらっしゃいました。

本を手に取り・・
表紙をめくって読み始めた時から
なぜか、感動で胸がいっぱいになるのです(^^;

読むたびに涙が出そうになり、
トラスト地周辺で暮らしていた方々
そして白山全てが
愛しくて愛しくてたまらない気持ちになり

その歴史と過去の出来事を全て知りたい・・
そして、多くの方たちに伝えたい。
そんな気持ちが溢れてきて・・

なかなか思ったほど
読み進めません(; ̄ー ̄A アセアセ

最初の方を少ししか読んでないのですが・・
ブログに書きたい文章があったので
さっそく書き込んでいます。

まず・・このくだりでグっときました( ̄- ゚̄ )

 今日白山は、昭和三十年、
国定公園に指定され、昭和三十七年十一月には
国立公園に指定されているのである。
爾来、白山についての伝記や宣伝文が
写真入りでさまざまな印刷物となり、
日本の津々浦々に売りさばかれているのである。

しかし、どれも見ても、満足できるものは少ない。
いずれも、物見遊山に誘う
宣伝文に過ぎず、かつて、われわれの祖先が、
神まします山として仰ぎ見、
真心を捧げた山・・・・
母のふところの如く、
深く悲しく愛しつづけた山・・・

その山は、これらの印刷物の中にはないのである。
    - 中略 -
 少なくとも、山の心を心とした。
その白山っ子がつづる、この小史である。
お上手ごとも書けないが、
そのかわりウソごとも書けないのである。

 私は叫びたい・・・
  
 遠く私たちの祖々をはぐくみ育てたのは、
この白山だったと、
声を大にして叫びたい。
願わくば、この山の真の姿を、
この小史から読み取っていただきたいと、
切に願う者である。


もう、これだけで感極まってしまい・・
あのトラスト地に、ご縁があって
本当に良かったなぁとしみじみ思いました。
自然豊かなだけでなく、
もしかすると2千年以上もの
歴史を有している可能性のある
あの地区の遠い過去に思いを馳せると・・
たまらない気持ちになります。

この話は埋もれさせてはいけない・・
多くの方々に伝えさせていただきたい。
そんな切なる思いを受け継いだような気がします。


次の文章でまた・・
白山と、その恩恵を受けてなりたつ自然、
そして、その自然の豊かな恵みによって生きている
(人間も含めた)全ての生き物に対する
愛しい想いがあふれ
白山に感謝する気持ちで 
胸がいっぱいになりました。


 白山の起源を学者の研究によって調べてみると、
現在の白山の山形がのっている台地一帯は、
大昔、琵琶湖の十倍もある
大きな淡水湖であったといわれ、
シジミやタニシのいたことが、
のちに出土した化石等によって
証明されている。
 そして、今から一億五千万年前、
すなわち中世ジュラ紀、
地球の摺曲作用によって、
この湖の底が隆起し出来上がったのが、
現在の白山であるといわれ、
その高さは、三千メートルに超えていたと
いわれている。(現在、2072メートル)

 そして、火山活動が始まったのが、
約十五万年ほど前の頃からで、
その大火山脈は、日本列島の
日本海側に並列して流れており、

北は東北地方、南は鳥取県に達し、
兵庫県の「城の崎温泉」は、
白山の大火山脈から
湧き出る温泉であるといわれる。
勿論、
石川県・福井県の全域、
岐阜県・富山県の一部の温泉郷は、
この白山火山帯より沸き出でるものである。

 そして、白山の山塊自体は、
火山活動を盛んに繰り返したが、
次第に治まり、今から約四百年前、
天正七年(一五七五年)の噴火が
最後の爆発であったと記録されている。
(現在は全くの休火山)
 この長い期間に噴き上げられた多量の土石は、
白山を源とする、四つの河川によって下流に運ばれ、
やがて素晴らしい平野を形成していったのである。
すなわち、
手取川(石川県)は加賀平野を
九頭竜川(福井県)は越前平野を
長良川(岐阜県)は濃尾平野を
庄川(富山県)は砺波平野を
産み出したのである。

そして、この平野にやがて農耕生活が始まると、
米や野菜が豊かに実るようになるのである。

 人々は、夏といっても、白く雪をいただき、
気高く聳(そび)え立つ白山を眺め、

あの山こそ、この大地の産みの親で、
自分たちの生活や農耕に、欠くことのできない
水の供給主であると、素朴に信じ、
日夜感謝の手を合わすようになっていったのである。

ー 白山の埋み火 (白山の起源) - より抜粋



そうなんですよね・・・
白山は、豊かな自然と
我々が生きていく上で必要不可欠な水だけでなく
お米や野菜などの実りをもたらす田畑と、
安心して住める
この『 平野 』ももたらしていてくれたんだと
あらためて知りました。

この土地があることを
当たり前のように考えていましたが
遠い過去に全てを準備し整えてくれていた白山・・

昔の人々が霊峰とあがめ、大切に思ってきた心も
豊かな自然と共に次世代に伝えていけたら・・
と思います。


2008年12月13日(土)13時より
このHさんの自宅にて、
白山の白峰村河内地区のお話や
昔のお話を色々と聞かせていただけることになりました。

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Last updated  2023年04月18日 23時29分21秒
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Re:通りすがりですが。。。   きよたか さん
ホームページ拝見させていただきました。
加藤政則さんは、僕の祖母の兄にあたります。
子供の頃よく遊んでいただきました。
温厚なおじさんで、今でも折に触れて思い出します。
年末に父が亡くなり、金沢から伯父が上京して来て、
子供の頃の白山の思い出を聞いたばかりでした。
三ッ谷には一度しか行ったことがありませんが、
もう一度行ってみようと思っています。
自分のルーツが気になる年頃になってきたようです。
突然の書き込みですみませんでした。 (2013年01月08日 17時26分55秒)

Re[1]:通りすがりですが。。。(11/27)   クマみみ さん
きよたかさん
はじめまして。コメントありがとうございます。
白山の埋み火を書かれた方の甥御さんに
見ていただいて大変光栄です。
加藤さんの本は現在絶版になっていて
大事な何冊かを私たちの団体の方に
順番に回して読ませていただいています。
皆さん、素晴らしい本だと絶賛されます。

本の内容からも推察されますが、三ツ谷(周辺)出身といいますか?
白山の登り口の最奥の地域ならではなのでしょうか?
現代人の多くがどこかに置き忘れてきたような
崇高な意識をお持ちの方ばかりだったのではないかと思います。
素晴らしいルーツをお持ちですね♪



(2013年01月08日 18時06分06秒)

Re[2]:通りすがりですが。。。(11/27)   きよたか さん
クマみみ様
ご返信有難うございます。
おじさんの「白山の埋み火」はうちにも一冊いただきました。
おじさんはイワナ釣りの名人であったと聞いております。
祖母がおじさんの妹にあたり、同じ神奈川県内に住んでいたこともあり、我が家によく来られていました。
いつも一緒に釣り堀に行きました。
やはり釣り堀でもよく釣られていて、僕などでは太刀打ちできませんでした。
おじさんが亡くなる一週間ほど前にも我が家に来られ、その時も釣り堀に行ったのですが、あの日に限っておじさんが一匹も釣れなかったのが記憶に残っています。
また、昭和9年の手取川の大洪水の話をされていたことも
印象深い思い出になっております。
今年で40になるせいなのか、自分のルーツが気になる年頃に
なったようです。 (2013年01月08日 19時56分59秒)


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