「希望ある年に」と各地でとりくみ
「今年こそ、希望ある年にしたい」と、新年を迎えての各団体の行事や、今年の選挙に向けての後援会の行事が目白押し。 私の今日の行動は、朝、須坂市議選の告示日で、永井光明市議候補の第一声でご挨拶。 お昼からは、12年ぶりに開かれたという日本共産党国鉄後援会の新年会に同じ長野市区の県議候補の和田あき子さんとともに出席。県議選での長野市区での2議席回復への決意と、国労の闘いの勝利めざしてともにがんばりぬくことや、新幹線長野以北の建設にともなう信越線の存続問題などの取り組みを含めてごあいさつ。 午後は、地元の朝陽地区の憲法9条の会の2周年記念集会。若槻団地で原田のぶゆき市議と県政・市政報告会。夕方からは、湯田中温泉星川館で建設産業労働組合朝陽支部の新年会に永井みえこ市議とともに出席してごあいさつ。 例年にない暖冬で、気温も高めのせいもあり、汗をかきかき、駆け足の一日。 朝陽支所の2階の公民館分館で開かれた朝陽地区憲法9条の会2周年記念集会は、会の代表を情熱を込めて務めてくださっている元長野市医師会長の石黒先生の思いのこもった主催者あいさつ、やはり呼びかけ人のおひとりである伊東朝子さんの浜辺の歌、サトウキビ畑などのソプラノ独唱、児童文学者の和田登さんの記念講演、参加者からの意見交換というプログラムだが、私は残念ながら途中で中座させていただく。 開会前に、やはり呼びかけ人のおひとりであるMさんが、戦後間もなく、新憲法普及会の一員として長野市で講演した芦田均(のちの内閣総理大臣)氏が、「この憲法にこめられた不戦の誓い、軍備を持たないということの意味は、鉄砲の玉一発たりとも持たないということです。再び武装することなく、その力で日本は平和を守っていくのです。」と語った言葉に心から感動し、そのときの言葉が、今でも耳を離れないこと、それにもかかわらず、その後の日本が警察予備隊から自衛隊を持つ方向に進み、ついに、防衛庁を防衛省にさせてしまったこと、安倍総理大臣が憲法を変えると主張していること等には、絶対に納得できないと、熱い思いを私に語ってくださった。 Mさんは、地域では信頼の厚い方で、政治的には保守的な立場の方だが、歴史の生き証人として、語る言葉に重いものがある。私は、是非、戦後の憲法制定当時のことを知らない若い世代のためにも、あとからの意見交流の時間に、今のお話をしてくださいね、とMさんにお願いした。 若槻団地の自治会館で開かれた県政・市政報告会には、地元の党史部や後援会の皆さんのがんばりで、いつもより広いほうのホールをお借りしていただき、おおぜいの皆さんにご参加いただき、感謝。 参加していただいた方から、「田中県政の改革の前進面を正確に伝えていただいて、ありがとう。」と、感想をいただいたが、県民の願いにこたえる改革を、さらに前進させていかなければならない、というのは、私自身の思いでもある。