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浅川義治 ~風のように~

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2006年09月18日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
ブログ282日目。文章は、言葉の繋がりだ。言葉の繋がりは、結果として論理性を帯びる。本当は、当然論理だと言いきりたい。
私は、法律を専攻した。刑法ゼミだった。実は刑法を特に学びたかったのでなく、刑法学者の沼野先生の話が聞きたかったからだ。沼野先生の話、それは講義はもちろん、私たち学生達との懇親会のようなくだけた場での話でもそうだった。先生の話は、なぜかどんな話でも納得出来た。
今も先生の一言が忘れられない。「社会を良くするのは、最後は政治だ」弁護士でもあり学者でもある先生の言葉は、私が社会人になってすぐに『平成維新の会』の活動に向かわせた。

政治を良くしなければいけないと思ったのは、中学3年生の社会の授業だった。佐々木先生の授業は、社会正義の実現は自分達にかかっていると思わされた。

沼野先生の話に戻る。先生は、法律家にとって一番大事なことは、法律や解釈を覚えることではなく、事実は何かを見極めることだと教えてくれた。ゼミは、常に緊張感があった。実務的な刑事事件に関する文章を作成することもあった。
言葉へのこだわりは、その時からだ。言葉の繋がりの論理性が少しでも疑われれば、そこでストップがかかる。何が正しい論理なのか?
相手の話からその人がどちらに持って行きたいのか、それは誰でもわかるだろう。問題は、それを言葉にして言うことが出来るか否か。論理矛盾を目の前の相手に言うことが出来るか。日本人にはなかなか出来ない。文化がそうさせない。文化には当然規範性がある。だからやむを得ないこともあるし、事実日本社会は今までそうしてまわって来た。
しかし、行政はそうはいかない。なぜなら法に基づく権限行使だからだ。誰も法からは逃れられない。特に行政権の濫用を防ぐ市民の立場からは、相手の非論理性を質すのは責務だとも考える。

小学生のような文章。小学生でも分かる文章とは、つまり普通に考えれば理解できる文章ということだ。

政治家は、言葉と行動で評価されなければならない。実際は、そうではない。特に日本の政治は、どれだけ有権者にいい対応をするかで判断されがちだ。私は、そのような政治風土を正していかなければいけないと考えているし、共に行動する同志に支えられている。
意識ある多く人に、いつも感謝している。
このブログを読んで「そうだ」と思うあなた。是非一緒に闘いましょう。

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最終更新日  2006年09月19日 00時33分34秒
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