横浜銀行弘明寺支店
ブログ352日目。今日外からの帰りに磯子駅を降りた所で、銀行時代の先輩に偶然会った。最初似ている人だなと思って通り過ぎたが、振り返ってみたら相手も振り向いていてああやっぱりということで立ち話をした。弘明寺支店で新入行員時代に大変お世話になった方で、でも転勤した後は一度くらいしかお会いしていなかった。私が市会議員になったことは、行内で別の先輩から聞いていたという。ポスターも見たと言っていた。久しぶりに懐かしい方にお会いできて良かった。横浜銀行弘明寺支店は、私の社会人としてのスタートを切った思い出の詰まった場所だ。当時の上司、先輩、同僚、キャリアメイトには、多くのことを勉強させてもらったという感謝の気持ちでいっぱいだ。私がこれからどう活動していくか、今私を応援してくださっている方々はもちろん、横浜銀行時代の方々にも胸を張って伝えられるようにしていかなければいけないと思った。私は4年前の選挙で会社を辞めずに出馬した。これは、銀行業界では考えられない画期的なことだった。これは、当時の上司が最大限配慮してくれたおかげだと思っている。そういう意味では、横浜銀行に11年間お世話になったことも含め大変感謝している。ただ、一点誤解のないよう書いておきたいのは、これは横浜銀行のためにもだが、私の選挙に会社が人、物、金で協力をしたことはないと言うことだ。つまり会社ぐるみの選挙はしていないということだ。行員に対して浅川義治を紹介したとか、取引先に浅川義治の応援をしてくれといったことは、横浜銀行は一切していない。もちろん私もそんなことは求めていないし、会社から協力をしようかといった話もなかった。私は、当選後横浜銀行を退職した。就業規則上は公職についたものは休職ができることになっているが、横浜市の指定金融機関を長年受けている横浜銀行の行員でいれば、当然横浜市と利益相反が生じることになる。私は、金融界の常識を主張することが将来あってもそれは横浜銀行の立場で言っているわけでないことを明確にしておきたかった。だから厳しくなるのは承知で退職した。私は、ひも付きの議員にはならない。一人ひとりの心の中で、浅川は昔と変わっていないと思われる仕事をしていきたい。