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2006年04月21日
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■株なんてどれを買っても同じ

 「今、どの株が買いですか?」という質問は、初心者、ベテラン投資家の両方が発する、大変ポピュラーな質問(同時に、難問でもある)だが、ベテラン投資家に対しては、何回かに一度は「株なんて、どれを買っても一緒ですよ」と答えてみたい。
 これに対して、「そんなことは、ないでしょう。やはり業績のいい会社の株は上がるし、ダメな会社の株価はダメだし・・・」というような反応が返ってくるとすれば、この人は、たぶん真面目な人にちがいないが、統計の世界でいうところの、「事前」と「事後」の区別がついていない初心者だ。この人の言い分を現実の株式市場に即して言い直すと、「株を買った後で、以前の予想よりも業績の伸びた会社の株価はよく上がることが多い、・・・」というようなことになるだろう。現在の予想よりも、業績が伸びる会社を、「現時点で」見つけることは難しいという現実にいずれ気づくことになるにちがいない。なお、「ダメな会社の株」も既にダメななりの株価が付いていることが多いはずだし、それが行き過ぎになっていることもあれば、事後的に、思っていたほどダメではない、という事態が現れることもあって(企業というのは、案外頑張るものだし)、十分上昇する可能性を秘めている。
 別の意味で初心者的な答えは、「専門家は、いい株が分かるのではないか」(だからこそ、専門家なのではないか!)という種類の答えだ。このように考えている人は、ある種の投資顧問業者にとっては絶好の顧客だから、業者の立場では、「タダでは教えられない」とか「まあ、それはそうなのですが」などと言いながら取り込むといいにちがいない。
 現実は、専門家であっても、「いい株」(厳密には、リスクを考慮しても他の銘柄よりも有利な期待リターンを持った銘柄とでも定義できるだろう)を事前に見分ける能力などない。もう一歩踏み込んでいえば、そんな能力や情報があれば、合理的な人間は、これを他人のためではなく、自分のために使うはずだから、他人にアドバイスしたり、他人のお金を運用したりする「専門家」などにやすやすと納まっていないはずなのだ。
 それでは、期待する反応はというと、以下のようなものだ。「そうですね。いやしくも市場で値が付いているのだから、どれがいいかなんて、簡単には分かりませんね」といった答えである。
 株式市場では、ときに例外はあるが、どの銘柄に関しても、真剣な売り手と買い手が、「もっと高く売れないか」、「もっと安く買えないか」とチャンスを探しながら取引を続けており、「いい会社」の株も、「ダメな会社」の株も、それなりの株価で取引きされている。従って、原則として、市場で取引きされている株価で買う限り、どの銘柄を買ったとしても、他の銘柄よりも、有利か不利かということは言えない。また、上場株式の場合は、取引されている価格がはっきりしており、加えて、手数料もはっきりしているから、投資家は、自分がフェアに取引きされている市場価格からどれぐらい離れた価格で取引きされているかが明白に分かる(しかも、近年、委託売買手数料は安い)。
 実は、こうした性質があるから、株式投資は初心者に勧めやすい。債券投資の場合、国内債・外債を問わず、手数料が取引価格に含まれるので、投資家は、フェアな条件からどれくらい離れているのかが把握できない。まして、外貨建て資産の場合は、為替レートの取引で一体いくら抜かれているものか、分かっていない投資家が多い。もちろん、株式の値動きは分散投資したとしても、為替レートや債券価格よりも大きい場合が多いのだが、この点は、投資金額でコントロールできるのだから、「株式投資は初心者向けではない」というのは誤ったイメージだと思う。


■「効率的」ではなく「ドングリの背比べ」

 どの株を買っても同じだ、という意見を聞くと思い出されるのは、市場の効率性と呼ばれる考え方ではないだろうか。
 これは、株式市場や為替市場のような資本市場では、プロの参加者が多数いて、情報が瞬時に伝わって解釈され、しかも、取引コストが小さいので、情報がただちに取引価格(株価や為替レートなど)に織り込まれる、とする考え方だ。このアイデアの延長線上には、そのようにして形成される価格は正しい資本の配分、ひいては経済全体の資源配分の効率性につながる、といったイメージがある。経済学者にとっては、シンプルで美しい世界だ。
 この市場の効率性の実証研究は、たとえば、特定の投資方法なりファンドマネジャーなりが、市場平均を統計的に有意に上回る結果を挙げることができるかどうか、という形で大量に行われた(例によって、主にアメリカでだが)。そして、その種のリサーチ結果の多くが、たとえば、「専門家である投資信託(米国では「ミューチュアル・ファンド」)のファンドマネジャーの運用成果の平均は、市場平均と同じかやや劣ることが多い」といった形で、「市場の効率性」を支持するものだった。
 個々の投資家はそれほど賢くないかも知れないが、市場価格には多くの投資家の持つ情報と判断が反映するから、「市場は、もの凄く賢いのだ」、という訳だ。
 ところが、最近の身近な経験でも、80年代後半の日本のバブルや、2000年初頭にかけてのアメリカのネット株バブルなど、市場全体なり、業種全体なりといった集合的なデータを見ても、市場価格が正しいファンダメンタル・バリューから大幅に乖離していたらしい事例が見つかる。市場は本当に、「市場の効率性」仮説が言うほど賢いのだろうか。
 実は、先の市場の効率性のテストには大きな穴があるのだ。たとえば、投資家や学者などが、個々には差があるように見えても、持っている情報力・判断力が、正しい株価を判断できるというほどのレベルから見ると全く不足していて、大差のない状況であれば、ファンドマネジャーなり、特定の投資戦略なりが、市場の平均(大まかに言うと、要は投資家の平均ということでもある)を上回ることが出来ないという状況は現出しうる。つまり、投資家の能力は「ドングリの背比べ」なのであり、ドングリがはっきりとドングリの平均を上回ることは難しい、という情けない状況を見て、ファイナンス学者たち(ちょっと昔のだが)は、「これは、市場の効率性のなせる業だ」と勘違いしたのではないか、という可能性がある。そして、思い切って言ってしまえば、これは、単なる可能性ではなくて、現実に起きていることなのだ。
 筆者は、20年位前の、ファンドマネジャーとして駆け出しの頃に、この可能性に気づき、自分でもファンドマネジャーをやっていた訳だから、多少複雑な気分もあったのだが、胸に手を当ててよく考えると、「ドングリの背比べ」仮説は限りなく真実に近いように思い、その確信が年々深まってきた。たとえば、ソフトバンクでもソニーでもいいが、具体的な銘柄の「正しい株価」を根拠と自信を持って計算できる情報と判断力は筆者にはないし、たぶん、他のファンドマネジャーやアナリストにもないだろう。
 なお、ソニーについては、数年前にアナリスト(主に外資系証券のスターアナリスト)のレポートを複数調べて結果を雑誌に書いたことがあるが、アナリスト達は、ソニーを賛美するレトリックを競うばかりで(当時、ソニーはファイナンス、M&Aなどで証券会社の良い顧客になりそうな会社だった)、株価については、幾つかの基準(PCFRなど)を使って、景気のいい目標を掲げるだけだった。彼らが、ソニーに限らず、株価の絶対値を評価する方法論・判断力を持っていないことは、ほぼ明らかに思えた。
 このような頼りない「ドングリの背比べ」に支えられていることも株式市場の実態であるが、これも、「多少の専門性が決定的な差になったりはしない」という意味で、参加者にとって平等な環境であることの証だ。やはり、株式市場は、リスクのコントロールができている限り、初心者が参加することを恐れるようなマーケットではないということだ。







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最終更新日  2006年04月21日 16時30分35秒
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