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いただき繕@UK

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2011.12.23
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カテゴリ:in LONDON
王子さまのような衣装や
宝石のくさりを 首につけた子供は
遊びの喜びを すっかりなくしてしまいます。
一あしごとに その衣装が 邪魔をしますから。

それがすり切れてしまったり
塵に まみれることを恐れて
子供は 世の中から 離れて
動くことさえ こわがるでしょう。

母よ 飾りの束縛は 無益です。
子供を 健やかな大地の塵から しめだして
みんなのくらしの中の すばらしいお祭りに 行くたのしみを
うばい去ってしまうのですから。

タゴール「ギタンジャリ」より

今思い返せば人生の長い年月の中でずっと飾り物を身にまとい続けてきた。
生まれてから初めて子供が家を出て社会と接点を持つとき、
その社会の中で自分の立ち位置を模索し始める。
それまでは自分の思うように感じ、表現してきたのに、そのあたりから他人から見られる自分を意識し始める。

幼稚園や小学校という初めての社会に子供をデヴューさせる時、親は最も用心して自らの懐から手放さなければならない。
もしそのタイミングに子供の個性や可能性を見出し、その後ある程度成長するまでそれを最大限に伸ばすように用意してあげなければ、社会の通念や何らかの概念にあっという間に染まってしまう。
子供は感受性が強いから、すぐ親や近くの大人が自分に対して何を求めているか察知しそれに答えようとエネルギーと時間を投入する。
その時代に自分の個性や能力や可能性を優先されずに、親が求める人並みの平均的な、将来安定した経済的な生活を優先した価値観に洗脳されてしまえば、彼らの人生における彼ら自身に与えられた能力や可能性は発揮できずに大人になり、その人生も達成感のないままにあっという間に終わってしまうだろう。まわりの人が皆そうなら何の疑問も持たずに世間の常識というものを身に着けて大人になる。そして他の価値観(自分のいのちの本性を優先する生き方)を受け入れられなくなる。あるいは他の価値観があるなんていう想像もできなくなる。
始めは親に褒めてもらいたくて勉強したりさまざまなことに熱中する。
社会でうまく立ち回れるように大人が持つ知識や言葉や価値観を身に着ける。
外に向けての意識や願望にほとんどの時間とエネルギーを費やしていくうちに、どんどん身に着ける飾りが重くなり年月を重ねていくうちにいつの間にかそれは身動きが不自由なほどの重い鎧になっている。内に向けての意識、本来の自分の本性、自分自身の願い、欲求が鎧に隠されて見えなくなっていき、終いには自分の感覚、自分自身の声さえも聞こえなくなっていく。

鎧を着て歩くのは困難だ。重いから何をするのも億劫になり次第に何もしたくなくなる。
でもまわりのみんなが鎧を付けているのでそれに対しての疑問はない。
周りではその鎧にいろいろな飾りを付けて歩いている。ブランドだったり、化粧だったり、
あるいは知識や学歴や所得額や名誉など。
鎧を維持するためにお金のことを考え、他に楽しみがないから食べることを考える。
一度鎧を身に着けてしまうとなかなか脱ぎ捨てるのは困難だ。
なぜならその鎧は体と心と一部同化してしまっているから。
剥がそうと思っても皮膚が剥がされるように痛いし簡単には脱げないようになっている。

私は農哲学院に来てから初めて自分が鎧を着ていることに気づき、その鎧の重さに唖然とし、そして脱ごうと思ってもなかなか簡単には脱げないことがわかり長い間ずいぶんもがいてきた。
7年前のあの頃よりもずっと身は軽くなった気もするが、まだすっかり脱いでしまったわけでもないと思う。それくらい難しいのだ。

子供は6歳くらいから外の世界、社会に触れ始める。
その頃に飾り方を教えてはいけない。
飾り方を覚えること、社会に合わせていくことは始めは楽しいだろう。
しかしその飾りはいずれ脱げない重い鎧に変わる。そしてそれによって苦しみ始める。
赤い靴が脱げなくなった少女のように。
そしてその中の本当の自分をどう成長させたらいいかわからなくなる。
だから内面は飾り始めた6歳から成長せず、鎧を飾っても飾っても、いろいろなものを食べても食べても、どんな遠いところに何度旅行に行っても心は決して満足しない。

そしてそのままいたずらに年を取る。

もう自分がなんで生きているのか、あるいは生きているのか死んでいるのかも実感できない。永遠に知ることはできない。

自分のいのちに気づき、生きていること、生かされていることに感謝する。
そのこころが不在なら何のために生きているのか、他のいのちをどう生かすかは永遠にわからない。自分がなにを求めているのか、何のために食べるのか。
鎧はその気づきを常に邪魔する力だ。

世の中をうまく渡れるように飾る方法を教えることは教育ではない。
純粋な素直な子供にとってそれは本来の彼らの可能性を伸ばす足枷になる。
母親は特に気を付けてやらなければならない。
いのちの教育ができるのはたいていの場合母親であると思うから。
そして家の中で大事にしていても子供は外に出てすぐに刺激を受けて洗脳されてしまうものだ。
その前に本性を伸ばすもっとも尊く喜びに直結するものは毎日の生活の中にあることを導かなければならない。
お金で買えるものは心を喜ばせたり成長させたりはしないことを子供のうちから自分で気づかせてあげなくてはならない。ただ言い聞かせるのではなく。

お母さんが作る毎日の素朴なごはんと
お店で売っているきれいな甘いお菓子。

どちらにも喜びはあるけれどもその内容は大きく違う。
お母さんが作る毎日のご飯に感じる喜びがちゃんと感じられる子供なら、甘いお菓子をいただいてもそれに溺れることはないだろう。
その意味でも母親の責任は重大だ。
そしてその時期を逃してしまうと大人になってから気づいても簡単に変わることができなくなる。

しかし。
ずいぶん年を取ってから鎧から抜け出そうとしている私でも、これからまた自分の無限の可能性を信じて成長させようというところ。
自分は一体何のために生まれてきたのか。
毎日の生活の中での気づきに喜びつつ、体知していこうと思います。
3年目のロンドン、いただき繕にて。

桂子








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Last updated  2011.12.23 23:42:00
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ありがとう   マム さん
遠い遠い外国で娘が暮らしています。
学校の給食も食べなかった娘が外国で何を食べて生きて行くのか…
旅だったときは心配でおかしくなりそうでした。
そんなこがいただき膳の食事がとても馴染んでいるのです
お陰で病気一つせずにすごしています😃 (2012.07.20 11:07:51)

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