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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2015.06.16
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カテゴリ:志木市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

今日は昨日の続き、大仙寺の石仏を見てみましょう。

大仙寺 志木市上宗岡2-7-45

DSC_0068.jpg

山門を入ってすぐ、参道の右側に大きな観音様が立っていた。脇に立っている
石碑によると、昭和53年、新座市野火止の篤志家からこの観音像の寄進があり、
さらに檀家の寄進を受けて台座、無縁石塔、納骨堂等の整備を行ったとのこと。
観音像の真裏には無縁仏が整然と並んでいた。多分その折に境内の整理も兼ね、
観音像の左右に石仏を集めて祀ったものと思われる。

DSC_0700.jpg

観音像の左側には石灯籠の先に二基の石塔が立っていた。

DSC_0671.jpg

すぐ脇、二段の台座の上、子育て地蔵菩薩坐像を乗せた 三界萬霊塔 文政12(1830)

DSC_0036.jpg

地蔵菩薩坐像。半跏にした足の上に宝珠を持った子供を乗せ、右手に錫杖を持つ。
頭の後ろには日輪光背。その穏やかな様子は心安らぐものがある。

DSC_0022.jpg

塔の正面「三界萬霊塔」(異体字、俗字使用)左側面 當山廿世牧野□童造立之
右側面には年号。裏面に多数の戒名が刻まれていた。

DSC_0027.jpg

台の右側面 上組、中組、下組、引又、三軒家、惣檀中とあり、世話人だろうか
二名の名前が刻まれている。左側面には関根氏、細田氏を含む20名ほどの名前、
裏面には、引又町 石工 星野勝五郎と刻まれていた。

DSC_0029.jpg

敷石供養塔 文化14(1815)塔正面「敷石供養塔」参道の敷石を供養したものか。

DSC_0035.jpg

上部には地蔵菩薩坐像が浮き彫りされていた。彫りは結構細かい。

DSC_0032.jpg

塔の右側面に年号。左側面 檀中 村内 助力 願主十人野橋本長次郎事(旧字)
世話人退岸全休沙耶 関根作兵衛と刻まれていた。字はなんとか追えたが、
その意味はあまりはっきりとはわからない。

DSC_0037.jpg

観音像の右側にも石灯籠の先に4基の石塔が並んでいる。

DSC_0020.jpg

手前 石橋供養塔 寛政8(1796)正面「奉納秩父坂東西國 為諸願成就 石橋供養塔」
その両脇には天下泰平 國土安全と刻まれていた。

DSC_0005.jpg

上部に聖観音菩薩坐像を浮き彫りにする。状態は良く、顔の表情まで窺える。

DSC_0002.jpg

塔の右側面 上部に年号。その下、右ハ与野ヘ二リ 左ハ大山道引又へ十二丁。

DSC_0003.jpg

塔の左側面 武州入間郡宗岡邑。右下に関根氏2名の名前が刻まれていた。願主か?
正面の下部にも同じように細田氏をはじめ24名の名前が見える。

DSC_0010.jpg

隣 地蔵菩薩坐像 文化14(1815)光背右 再興願主 上組念佛講中。光背左に年号。
左手に宝珠、右手に自然木で作られたような錫杖。神秘的な雰囲気を持っている。

DSC_0018.jpg

その左 地蔵菩薩立像 元文5(1740)光背右に大きく「念佛講中」と刻まれていた。
下部に武州入間郡宗岡村。光背左に年号。面長でかすかに微笑を浮かべている。

DSC_0017.jpg

一番左 聖観音菩薩立像 延享(1747)衣服が独特でエキゾチックな顔をしている。
光背右「普門品読誦千巻成就供養」光背左 年号の下に誦経連衆十人敬白とある。
観音講中によって造立された「普門品供養塔」ということだろう。





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Last updated  2015.06.26 06:17:05
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