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カテゴリ:朝霞市の石仏
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昨日の続きになります。今日は寶蔵寺の境内の石仏を見てみましょう。 寶蔵寺 朝霞市宮戸4-2-1 山門を入って左側 隅飾型の笠をもった宝篋印塔 寛延4(1751)が立っていた。 右側面に「権大僧都大阿闍梨法印宥長不生位」と刻まれている。 基礎部裏面 中央に年号。右脇に天下泰平・國土安全、左脇に武州新座郡宮戸村 先之宝蔵寺住教善 造立之者也と刻まれていた。 境内に入って右側 歴代住職の墓石の中に金剛界大日如来立像 延宝2(1674) 多少カビがあるが比較的美しい。 像の裏 梵字の下に法印 権大僧都宥清不生位。両脇に造立年月日。さらに 宮戸村薬王山宝蔵寺住持と刻まれていた。 境内の右側の築山の上に弘法大師像が立っている。本堂の脇によく見るが こういう風景もまた気持ちがよいものだ。 本堂右側の薬師堂の手前、植え込みの中に敷石供養塔 昭和9(1934)があった。 正面中央「弘法大師一千百年 遠忌記念敷石供養塔」左脇に年号。右脇には 御影石壹百六拾枚也。塔の左側面 寄付者 高橋氏の名前が刻まれていた。 本堂の右脇に「高尾山参道」と刻まれた標石が立っている。本堂と鐘楼の間を 敷石に従って進んでゆくと・・・ 富士塚のような塚が築かれていて、石の階段の手前、両側に門番のように天狗の 像が立っていた。その台には昭和54年の銘がある。 塚の頂上 飯縄権現塔 明治29(1896)白狐に乗り、剣と索を持つ烏天狗。火焔の 光背を持つ。下の台の正面に「高尾山」と彫られていた。 その光背の裏面には年号が刻まれている。 台の側面に發願主として3名の名前。続いて「新盛講社中」だろうか? 両脇に一対の烏天狗の像塔 昭和26(1951)が立っていた。右の塔の裏面に年号。 塚の右側に不動明王坐像 寛政9(1797)右手の剣と火焔光背の一部を欠いている。 台の正面 願主 宮戸村。講中、惣村中。左側面には年号が刻まれていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.07.16 20:19:53
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