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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

2013.11.19 ブログ開設
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2015.07.29
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カテゴリ:朝霞市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

今日から溝沼地区に入ります。溝沼・浜崎地区は黒目川沿いの低地にあり、
水田も比較的多く、古い神社やお寺もあって結構見所は多そうです。

蔵王権現社 朝霞市溝沼7-4

DSC_0515.jpg

朝霞台駅南口の正面の道路のはじめの交差点を左折して坂道を降りてゆくと
その先に病院がある。このT字路を右折し、コンビニの先でまた左折すると
田園風景の中、舗装路が続く。黒目川を渡りやがてT字路に突き当たるが、
このT字路の角の住宅の外、神社の脇の雨よけの下に庚申塔が並んでいた。

DSC_0516.jpg

左 庚申塔 宝暦6(1756)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。表面は磨耗があり
はっきりしない。大きめの邪鬼は両手をあごの下にいれてくつろいでいる?
三猿は正面向き。二鶏は確認できなかった。下の台の正面には講中とあり、
橋本氏9名、吉野氏1名の名前が刻まれている。

DSC_0518.jpg

塔の左側面に年号。右側面「奉造立青面大金剛」続いて武州新座郡溝沼村。

DSC_0520.jpg

右 庚申塔 寛保2(1742)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。こちらのほうが
表面も比較的きれいで見やすい。彫りも技巧的で足の両脇にはっきりした
二鶏を彫る。足元の邪鬼は両腕を踏ん張って青面金剛の重みに耐えている。
三猿は中央が正面向き、残りの二匹は内を向く。

DSC_0521.jpg

塔の右側面に年号。その下に溝沼村とあり4名の名前が刻まれていた。
左側面には講中とあり、こちらには5名の名前が刻まれている。

DSC_0527.jpg

奥に石尊大権現塔 慶應2(1866)石灯籠の形をとる。基壇が大きい。竿部の正面
「奉納石尊大権現」その両脇に大天狗・小天狗。裏の面に年号。

溝沼氷川神社 朝霞市溝沼6-23

DSC_0531.jpg

蔵王権現社から西に向かい道なりに進むと左側に氷川神社がある。

DSC_0535.jpg

その境内の奥、ブロック塀の前に石塔が並んでいた。

DSC_0536.jpg

左から 庚申塔 延享2(1745)正面 梵字「ウーン」の下「奉待庚申供養諸願成就所」
両脇に造立年月日。その下に三猿が彫られている。

DSC_0539.jpg

右側面 武州新座郡溝沼村講中とあり、その下には十数名の名前が刻まれていた。

DSC_0543.jpg

隣の石塔、正面はかなり剥がれ落ちているが天下泰平、國土安全と刻まれている。
左側面を見ると「宝篋印陀羅尼經云・・・・・」どうやらこちら塔身部を欠いた
宝篋印塔らしい。笠の上にあるはずの相輪も欠けてしまったのだろうか。

DSC_0545.jpg

左側面に武州新座郡溝沼邑 普門品講中。続いて宝暦4(1754)の銘が刻まれていた。

DSC_0547.jpg

下の台の正面と右側面にはそれぞれ十数名の名前が刻まれている。

DSC_0548.jpg

中央に大小あわせて五基の記念碑が立ち、その右に小型の石塔が並んでいた。
左から 大六天塔 明治39(1906)右側面に光善寺と刻まれている。

DSC_0549.jpg

続いて稲荷神社 昭和4(1929)左側面に願主橋本氏2名の名前が刻まれていた。

DSC_0551.jpg

隣の石塔 上部 日月雲の下に富士山だろうか?下部には3人の人物を浮き彫りに
している。富士講、あるいは御嶽講か、いずれにしても山岳信仰の供養塔だろう。
3人の人物は行者と考えられる。右側面には天保2(1831)の銘が刻まれていた。

DSC_0554.jpg

その右の石祠。正面に文字は見えないが小さな弁財天像が置かれている。下の台の
右側面に文政8(1825)の銘があり、続いて武州新座郡溝沼邑と刻まれていた。

DSC_0556.jpg

一番右には小御嶽石尊大権現塔 文化15(1818)小御嶽神社は富士山にあるらしい。
石尊大権現は丹沢の大山神社、山岳信仰のつながりなのだろう。右側面に年号。
下の台の三面にそれぞれ十名ほどの名前が刻まれていた。





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Last updated  2015.07.30 21:57:12
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