私家版 さいたまの石仏

2015/08/08(土)18:52

朝霞市膝折町 閻魔堂の石仏 その2

朝霞市の石仏(23)

ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら 今日は閻魔堂の境内にある小堂の石仏を見て見ましょう。 一条院閻魔堂 朝霞市膝折町4-7 門のすぐ左側の小堂の中、正面に五体、左右に二体の石仏が並んでいた。 左脇 如意輪観音坐像 元禄2(1689)こちらは個人の墓石だった。 正面左端 地蔵菩薩立像 全体が溶けかかっている。写真を整理してみると このお地蔵様だけ下の台の写真がない。(後日追加します) 右隣 地蔵菩薩立像 享保5(1720)こちらも損傷が激しい。錫杖、宝珠ともに 崩れ落ち、顔や衣装の一部も剥がれているようだ。 蓮台の下の台、正面「奉造立地蔵菩薩」右脇に年号。左脇 武州新座郡膝折。 中央 聖観音菩薩立像 元禄7(1694)左手に蓮の花、右手は与願印。光背上部に 梵字「サ」光背右「右志者為秩父巡礼供養也 具一切功徳 慈眼視衆生」と刻む。 光背左「福聚海無量 是故應頌禮」さらに造立年月日が刻まれていた。 足元の正面に男性名で3人、左にお支い 女、お多へ 女、などと女性名が4人、 右に同じく3名の女性の名前が刻まれている。 正面 右から2番目 地蔵菩薩立像。ここではもっとも状態がいい。右手に錫杖、 左手に宝珠を持つ。錫杖がそんなに長くないので江戸中期以降のものか? 台の側面に文字が見えるが、示時現・・その後はコンクリートに埋まっていた。 正面は「奉造立石・・」「現當二世安・・」左側面 念佛・・八月・・ 正面右端 大日如来坐像 正徳5(1715)右手先を欠いているが智拳印を結んでいると 思われる。光背上に梵字「バン」光背右「一世仙行尭行者」左に年号を刻む。 右脇 聖観音菩薩立像。顔ははっきりせず、像も一部欠け、銘文なども見えない。 衣服などの彫りは結構細かく凝っていて、優雅な雰囲気を持っている。

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