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カテゴリ:さいたま市西区の石仏
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板橋区の石仏は写真の整理中のため今回はお休みして、さいたま市西区指扇から「見つけられなかった石仏」を紹介します。 荒澤不動尊向かい路傍 さいたま市西区指扇576 水判土の慈眼寺のあたりから佐知川の台になった地域を指扇駅方面にまっすぐに道が通っている。この狭い道を北西に進み佐知川から指扇に入ったあたりで道は左右に分かれ、ここから左右いずれも下り坂になる。この分岐点のところに石塔が立っていた。その向かいは荒澤不動尊。以前この場所を探した時には指扇にもう一つある「赤羽根荒澤不動尊」のほうに行ってしまった。同じ指扇に二つの荒澤不動尊があるとはその時は全く考えていなかった。 百ヶ所供養塔 寛政4(1792)上部に観音菩薩坐像。中央に「百ヶ所供養塔」その両脇に造立年月日。百カ所観音供養塔である。 塔の右側面 右 あきば道。「あきば」は中釘にある関東総社 秋葉神社。下部には数名の名前が刻まれていた。 左側面に刻まれた地名がどこなのか、「ん」が二つ付く地名がなかなか思い浮かばない。「郷土の石佛」の著者 酒井さんに伺ってみると「かんのんミチ」ではないかということだった。どうやら宝来にある福寿庵百観音のことらしい。こちらも下部に数名の名前が刻まれている。 荒澤不動尊 さいたま市西区指扇579 道をはさんだ向かいにある荒澤不動尊の庭木の中、雨除けの下に庚申塔が立っていた。 庚申塔 正徳元年(1711)唐破風笠付角柱型。日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。古いものだが、カビなどもなくとても美しい。 青面金剛の足下は蛇模様だろうか。下の二鶏、三猿がしっかり彫られていることからみても、これが邪鬼とは思えない。 塔の右側面に造立年月日。下のほうに十二名の名前が刻まれていた。 左側面には 武州足立郡指扇領之内五味貝戸村。下のほうに施主とあり、こちらにも十二名の名前が刻まれている。 奥の不動堂の脇に狛犬と馬頭観音塔が並んでいた。狛犬のほうには台が土に埋もれていて銘が見当たらない。 馬頭観音塔 昭和9(1934)正面に「馬頭觀世音」個人で建立したもののようだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.02.27 19:49:53
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