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私家版 さいたまの石仏

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2016.04.15
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カテゴリ:富士見市の石仏
ホームページ「私家版さいたまの石仏」はこちら

今日は本郷中学校の周辺を見てみましょう。

本郷中学校北門向かい畦道 富士見市水子539中学校北

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本郷中学校の北にある門のところから富士見江川のほうに向かう道の左側、田んぼのあぜ道に二基の石塔が立っていた。写真上の緑の部分が遊歩道が続く富士見江川の土手。左上に見える大きな建物は旧富士見有料道路沿いの大きな総合病院になる。

1DSC_0593.jpg

左 庚申塔 元禄14(1701)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。経年のため表面は摩耗し、文字は読みにくく全体にぼんやりしている。像の右脇「奉庚申待供養石橋成就処」左脇に一結施主二世安樂所。石橋供養塔を兼ねているようだ。

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足下には邪鬼・二鶏の姿は無く三猿だけが彫られていた。その下に文字が見えるが、半分は土の中で判読が難しい。資料によると十一名の名前が刻まれているという。

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塔の左側面に造立年月日。右側面 武州三好里水子村のように見えるが三好里はどこを意味するのか不明。三芳町(三芳村) は明治になってできた地名なので該当しないと思うがどうだろう?

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右 庚申塔 寛政4(1792)写真を見ていただければわかるように風化が進み剥落部分が多く原形をとどめていない。富士見市HPの写真を見ると正面上部に梵字、その下に薄く「庚申供養塔」と見えている。現在の状態で正面には最下部に「塔」左側面上部に「寛」だけが確認できた。あと何年かするとそれも見られなくなってしまうのだろう。

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右側面だけはしっかりと文字が残っている。武州入間郡水子村上組。他の石塔でも中組などの表記が散見される。その下に講中七名の名前が刻まれていた。

本郷中学校南路傍

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本郷中学校の南のT字路を入ると、左側のアパートと住宅の間に庚申塔が立っている。この道を登ってゆくとやがて高台の氷川神社のあたりに出ることになる。

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石塔の手前近くまでアパートの黒いフェンスが迫っていて斜め右からしか見ることができなかった。庚申塔 文化7(1810)正面 梵字「ウン」の下に開運とあり、続いて大きく「庚申塔」右脇に諸願成就、左脇に如意□□。塔の左側が破損していて文字が欠けている。□□は鋪と足または疋のように見えるが、どう組み合わせて考えても意味が通じない。塔の右側面には造立年月日が刻まれていた。

DSC_0118.jpg

台の正面に十人ほどの名前が、右側面には奥に他力講中とあり、やはり数人の名前が刻まれている。塔の左側面、台の左側面を見るにはフェンスを越える必要があり、今回はあきらめざるをえなかった。





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Last updated  2016.04.21 14:09:36
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