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カテゴリ:富士見市の石仏
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前回まで水子の台地のほうを見てきましたが、今回は南の台の下の地域、字は石井、東石井というエリアです。 真光寺 富士見市水子2731-1 ![]() 浦和所沢バイパスの岡の坂交差点付近から、その北側をバイパスにほぼ平行に道路が通っている。バイパスは柳瀬川の北に広がる田園地帯に新しくできた道路で、この北の細い道路がもともと村の主要な道だったのだろう。交差点から5分ほど歩くと右側に真光寺が見えてくる。お寺は台の途中の高い所にあり、細い道に入って上り坂の先に入り口があった。入口近くに石塔が並んでいる。 ![]() 手前から宝篋印塔 天明元年(1781)基礎に武州入間郡水子村 施主として木内氏の名前が刻まれていた。 ![]() 小堂の中 地蔵菩薩立像 天明元年(1781)台も含めると2mを超す大きな延命地蔵。像も台も美しい状態を保っている。 ![]() 台の正面中央に「奉造立悲願金剛恵日妙照大姉為也」両脇に命日を刻む。左側面に造立年月日。右側面に武州入間郡水子村 施主とあり、宝篋印塔と同じく木内氏、こちらは奥さんのようだ。宝篋印塔とともにこれだけの立派なものが個人のものというのは意外だった。この時代、大型の二基の石塔を奉納するだけの豊かな経済力を持った家がこの村にあったということなのだろう。 ![]() 小堂の奥にも二基の石塔が立っていた。 ![]() 前 阿弥陀如来立像 貞享4(1687)風化のために顔の表情などははっきりしない。光背右「為現受無比樂後生清浄土也敬白」左脇に造立年月日。その下に武州入間之郡水子村神明。神明は字かと思い古い地図を見てみたがよくわからない。 ![]() 足下に願主 眞光寺住 沙門 行者。さらに一結衆廿三人と刻まれていた。 ![]() 後 光明真言供養塔 天明9(1789)塔の正面 上部に梵字で光明真言をあらわし、その下に「奉造立光明真言百万遍供養塔」両脇に造立年月日。 ![]() 台の正面に武州入間郡水子村 講中四拾五人。続いて願主は木内氏をはじめとして三名の名前が刻まれていた。 地蔵堂墓地 富士見市水子4387付近 ![]() さらに西に進むと右手に雑木林の公園、「石井緑地公園」が見えてくる。公園の奥は台地で、その高台に墓地があった。入口付近に石仏が並んでいる。 ![]() 地蔵菩薩立像 安永8(1779)光背の右脇に「奉造立地蔵菩薩為三界万霊也」左脇に造立年月日。その下に水子邑願主貞善。足下に世話人一名の名前が刻まれていた。 ![]() その隣 庚申塔 貞享4(1687)正面上部に日月雲を線刻。中央「奉造立庚申石像為現当二世安樂」右脇に武州入間郡水子之郷大井村。左脇に造立年月日。続いて一結衆敬白と刻まれている。 ![]() その下にぬいぐるみのような三猿を彫り、さらに三猿の下の部分には結衆十名の名前が刻まれていた。 ![]() 続いて寒念佛供養塔 安永6(1777)中央 梵字「キリーク」の下「奉勤行寒念佛供養塔」右脇に造立年月日。左脇には武州入間郡水子村とあり個人名が刻まれている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.05.10 17:14:41
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