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私家版 さいたまの石仏

私家版 さいたまの石仏

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2016.05.18
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カテゴリ:富士見市の石仏
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今日は前回に続き針ヶ谷から、氷川神社の東にある共同墓地の石仏です。

氷川神社東共同墓地 富士見市針ヶ谷1-37

DSC_0490.jpg

氷川神社の東、針ケ谷コミュニティセンターの隣りにある大きな墓地。南側中央の入口から入ると二つの祠があり、その前の左右に石塔が並んでいた。二つの祠の間の先にも舟形の光背を持った石地蔵が見える。

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右側には三体のお地蔵さま。午前中にはいつも逆光なのでなかなかクリアな写真が撮れない。

2DSC_0699.jpg

手前から地蔵菩薩立像。丸彫りの立像だが台は無く、像のほうにも銘は見当たらないため、年代など詳細は不明。頭部の様子が変なので近寄ってみると、本来の頭が欠けたあとにそれらしい形の石を乗せたものだった。

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中央 地蔵菩薩坐像 天保13(1842)右手に錫杖を持ち左手に幼子を抱えた半跏趺坐の子育て地蔵。

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塔部正面 梵字「カ」の下に「子育地蔵尊」右側面には造立年月日。さらに開眼導師 福寿山現住 覚範。左側面は為法印覚報頓証菩提也、為贈法印覚音菩提也と刻まれている。下の台の正面「普請他力」右側面に大きく当邑中。左側面は文字が小さく、川越在石田本郷邑居住、膝折宿居住などと見え願主名のようだ。

DSC_0702.jpg

奥 地蔵菩薩立像 宝暦13(1763)台の正面「奉造営地蔵菩薩」両脇に造立年月日。

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台の左側面に尊像 為二世安樂也敬白。右側面には武州入間郡針ヶ谷邑 願主一名に続いて惣村講中八十五人と刻まれていた。

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左側には三種類、三基の石塔が並んでいる。

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手前 馬頭観音塔 天保7(1836)正面 日月雲の下「馬頭觀世音」両脇に造立年月日。塔の右側面 入間郡針ヶ谷邑。左側面 願主 神山氏。

3DSC_0716.jpg

続いて不動明王坐像 文久2(1862)炎の光背、右手に剣、左手に羂索、下部には滝をはさんで両側に矜羯羅童子と制吒迦童子。

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祠の左側面 針ヶ谷邑、右側面には造立年月日が刻まれていた。

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奥には光明真言供養塔 天明8(1788)正面上部、円の真ん中に梵字で胎蔵界大日如来の真言を刻み、周りにやはり梵字で光明真言23文字。その下に「奉念誦光明真言一億万遍供養塔」本当に1億万遍成就したとすると、相当多くの人たちが力を合わせたものと思われる。

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下の台の正面、その下の台の正面ともに十名ほどの名前が刻まれていた。舘村、竹間沢、水子、引又、大和田、本郷など広い地域の地名が見える。

6DSC_0499.jpg

塔の左側面 100文字近い願文のあと、武州入間郡針ヶ谷村 瑠璃光山西光院とある。今は堂宇は見当たらないが以前はここに西光院があったのかもしれない。

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塔の右側面には「万人講供養志施主」とあり、その下に九名の名前が刻まれているが、針ヶ谷村 神山氏は氷川神社の手水鉢にもその名前があったし、引又の村山氏も志木のいろいろな石仏にその名前が見られる有力者で、この人たちが中心になってこの供養塔を建立したものなのだろう。

DSC_0558.jpg

二つの祠のうち右の祠の中、虚空蔵菩薩立像 延宝6(1678)祠の中は暗くうまく写らなかったが光背右に「虚空蔵菩薩」その下に針ヶ谷村 鈴木長□□ 施主。時代は100年の隔たりがあるが、先ほどの光明真言供養塔の施主 針ヶ谷村鈴木氏と同じ家だろうか。光背左に造立年月日。その下には武州入間郡川越領と刻まれていた。

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同じ祠の中、隅のほうに小さな石像、こちらも虚空蔵菩薩のようだ。台もなく、紀年銘なども見当たらない。

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二つの祠の間の先、墓地のほうに地蔵菩薩立像 正徳4(1714)光背上部に梵字「カ」円形の頭光を持つ。光背右に「奉造立地蔵為二世安樂也」左脇に造立年月日。さらに武州入間郡針ヶ谷村。足下の部分に念佛講とあり、神山氏、鈴木氏を含む十人の名前が刻まれていた。





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Last updated  2016.05.18 21:08:17
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