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カテゴリ:さいたま市岩槻区の石仏
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「岩槻型」庚申塔と並んで、岩槻の庚申塔に特徴的なものとして、主に文字塔の台に彫られた「自由奔放な三猿」があります。今まで私が見た中では、岩槻区とその近くの見沼区などでしか見ることができません。この三猿は多分ある時期の岩槻石工に固有な仕事だと思われます。時代順に見てゆきましょう。 1.大谷香取神社 岩槻区大谷415 寛政4(1792)角柱型の塔の正面、日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。下の台の正面に三猿。右に丸まった言わ猿、中央に寝そべった見猿、左にそっぽを向いた聞か猿。その上にはちょこんと二鶏。 2.長宮庚申塚 岩槻区長宮62付近 寛政10(1798)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。寛政期らしい細かい彫り。獅子のような顔の邪鬼、美しく彫られた二鶏に囲まれて、三猿は正三角形の構図。後ろ向きに座ったりそれぞれに自由にポーズをとっている。 3.横根庚申塚 岩槻区横根482 文化6(1809)角柱型の石塔の正面 日月雲「庚申塔」下の台の正面に三猿。左の言わ猿は身をよじらせて、右の見猿は足を投げ出す。 4.城南小学校西 県道324号線路傍 岩槻区真福寺30 文政2(1819)角柱型の塔の正面 日月雲「庚申塔」台の正面に妖艶なポーズをとる三猿 5.天神社 岩槻区裏慈恩寺213の北 文政5(1822)日月雲の下に「庚申塔」下の台の正面に三猿を彫る。左の言わ猿は横座りをしている女性のようなポーズ。 6.西福寺 岩槻区南平野1-33 文政6(1823)塔の正面 日月雲「猿田彦大神」下の台の正面に三猿。左の言わ猿はソッポを向いている。 7.西福寺 岩槻区南平野1-33 文政11(1828)塔の正面 日月雲「庚申塔」台の正面を浅く彫り窪めてその中に三猿を彫る。中央の猿だけは普通だがあとの二匹はお行儀がよくない。 8.酒店向かいの庭 岩槻区裏慈恩寺1106 天保3(1832)角柱型の塔の正面に大きく「青面金剛」右側面に造立年月日。左側面 武州埼玉郡裏慈恩寺村。台は二段になっているが上のほうの台の正面に三猿を彫る。三猿は寝そべってリラックスしている。 9.諏訪神社入口 岩槻区小溝1367 天保11(1840)塔の正面 日月雲の下に大きく「庚申塔」右側面に造立年月日。左側面には武州埼玉郡小溝村と刻まれている。右の猿は後ろ向きで頭を反らし、左の猿も座り方がだらしない。 10.妙見橋北路傍 岩槻区谷下329南 弘化2(1845)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。二匹の邪鬼の頭を踏んでいる。下の台の正面には自由に振る舞う奔放な三猿。 11.浅間神社 岩槻区笹久保新田1062 角柱型の石塔の正面 日月雲の下に「猿田彦大神」と刻む。台の正面に片手使いの三猿。 12.毘沙門天堂 岩槻区慈恩寺513 嘉永4(1851)塔の正面 日月雲の下、くずし字で「青面金剛」デザイン的には面白いが読みにくい。下の台の正面に三猿はリラックスした姿 13.久伊豆神社 岩槻区真福寺414 庚申塔 嘉永5(1852)角柱型の塔の正面 日月雲「庚申塔」台は二段になっている。台の正面に三猿。それぞれラフな格好で座る。左の言わ猿は片手で中央の聞か猿を指さす。 14.長宮香取神社(下) 岩槻区長宮724 嘉永7(1854)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。細密な彫りの青面金剛像の足下、獅子顔の二匹の邪鬼の頭が並ぶ。台の正面の三猿は立膝をつき、ものぐさなのか?いずれも片手だけしか使わない。 15.大谷香取神社 岩槻区大谷415 安政2(1855)角柱型の塔の正面 日月雲「庚申」二段の台の上の台正面にハッピ?を着た三猿。真ん中は見猿のはずだが、烏帽子?をかぶり、左肩に棒状のものを担ぎ、さらに右手に扇のようなものを持っている。 16.高曽根公民館 岩槻区高曽根1232 安政2(1855)角柱型の石塔の正面 日月雲「庚申塔」二段になった台のうち上の台の正面にハッピを着た三猿。両端の猿は外を向く。左の見猿は右手に桃を持ち、中央の聞か猿は左手で耳をふさぎ、右手には扇を持つ。右の言わ猿は左手を口にあて右手を前に突き出している。 17.香取神社(上) 岩槻区長宮1101 安政3(1856)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。青面金剛像塔の下の大きな台の正面にリラックス型の三猿。 18.西福寺 岩槻区南平野1-33 安政5(1858)塔の正面 日月雲「庚申塔」台の正面の三猿は足を投げ出したり、足を組んだり、さらにリラックスしている。 19.大口香取神社 岩槻区大口251 安政5(1858)山形角柱型の石塔の正面、日月雲の下「庚申塔」と彫る。上の段の正面に片手しか使わない独特な三猿。 以上、寛政4(1792)から安政5(1858)まで約70年間に19基の庚申塔に自由な三猿が彫られている。片手で目、口、耳をふさぐ、片手使いの三猿。これが最も多く、中には他の猿を指さすものもいくつかあった。あぐらをかいたり足を投げ出し座ったり立膝をついたり、時には寝そべったり。また、ハッピを着ていたり烏帽子をかぶっていたり、手に桃果、扇、御幣などを持つものもある。いくつかのタイプがあるがいずれにしてもおとなしく座ってはいない。 19基のうち像塔は1.2.10.14.17番の5基で、あとの14基は文字塔である。自由に遊ぶ三猿を彫るのだから横長の空間が必要で、文字塔、像塔いずれも角柱型の本塔の下の大きな台の正面に彫られていた。 この自由奔放な三猿、さいたま市の他の区も調べてみた。駆け足なので見落としもあるかもしれないが、桜区、南区、浦和区、中央区、大宮区では見当たらず、西区で1基、北区で3基、見沼区で9基、緑区で3基、合わせて16基を確認することができた。特に見沼区は岩槻石工の仕事が数多く残されている。先日見ていただいた片柳にある田中武兵衛の二つの庚申塔、隅々まで繊細な彫りで驚くほど芸術的な万年寺の庚申塔(2014.10.06の記事参照)いずれもその台には自由に遊ぶ三猿が彫られていた。同じく見沼区から、大谷氷川神社入口に立つ庚申塔の一部を見ていただいて本稿を終えたいと思う。 文化3(1806)笠付角柱 日月雲 青面金剛立像 剣ショケラ持ち六臂。狛犬のような顔をした二匹の邪鬼に続き ニ鶏を両側に配し、その下に片手使いの三猿。自由で動きのある構図が楽しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.05.25 06:44:04
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