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私家版 さいたまの石仏

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☆いたやま☆

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自転車とカメラが趣味で、気軽に写真を撮っています。
お地蔵様や庚申塔などの石仏にはまってしまいました。

さいたま市の石仏探しの参考書として
「石の文化財-浦和の石造物」浦和市教育委員会
「郷土の石佛 写生行脚一期一会」酒井 正

私家版さいたまの石仏のホームページ版は
http://saita-seki.jimdo.com/

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2024.02.21
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中央区も残すは下落合、上落合となりました。今日は下落合の東光寺墓地(落合霊園)の石仏を見てみましょう。

東光寺墓地 中央区下落合6-13​[地図]


与野中央通りの中央区役所交差点から東へ進み、最初の信号交差点を右折すると100mほど先。道路左側に東光寺墓地の入口があった。門柱の表札には「落合霊園」とあるが、資料には「東光寺」となっていて、こちらのほうが通りがいいようだ。


入口から本堂までまっすぐ参道が続き、その左脇には多くの石塔が並んでいた。一番奥、本堂左手前には小堂が立っている。


門を入ってすぐ左手に石塔が並んでいた。前列には東向きに五基の石塔。


左から 馬頭観音塔 文化10(1813)角柱型の石塔の正面「馬頭觀世音菩薩」


塔の右側面に造立年月日。左側面には中里邑 下落合村講中と刻まれている


その隣 百観音巡礼供養塔 宝暦9(1759)隅丸角柱型の石塔の正面「南無觀世音菩薩」塔の左側面に「西國 坂東 秩父 巡礼成就所」塔の中頃に断裂跡がある。


右側面に造立年月日。その右脇に武州足立郡下落合邑、左脇に日照山東光寺立之と刻まれていた。


卵塔を挟んで念佛供養塔 文化3(1806)舟形光背に地蔵菩薩立像を浮き彫り。光背右脇に造立年月日。左w気に「念佛講中」その下に下落合村。植木が邪魔して見えないが、足元の部分に願主 いそ と刻まれている。右端の石塔は墓石だった。


後列右 西向きに庚申塔 安永6(1777)駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。後ろ右手に小さなショケラを持つユニークな青面金剛。岩槻以外では珍しい。


足の両脇に二鶏。足元に両手をついてうずくまる大型の邪鬼。その下に三猿。両脇の猿は足を大きく投げ出して内向きに座る。


塔の右側面「庚申供養塔」脇に植田谷村林光寺住 法印覺誉。最下部に五名の名前。


左側面に造立年月日。下部両脇に下落合村 講中。最下部にはこちらも五名の名前が刻まれていた。


その隣 善光寺四十八度供養塔 享保17(1732)隅丸角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、阿弥陀三尊種子の下に「奉納信州善光寺四十八度供養塔」両脇に造立年月日。


右側面に寒念佛十人。寒念仏講中によって造立されたものということだろうか。


左側面 武刕足立郡中里村。続いてその横に右 江戸みち。その下に願主 善休と刻まれている。


善光寺四十八度供養塔と向き合うように二基の丸彫り大日如来坐像が並んでいた。いずれも智拳印を結んでいるが左は頭部が欠け、右は左肩から上がそっくり欠けている。廃仏毀釈の結果だろうか、痛ましい。


参道をしばらく進むと左脇に三基の石塔が並ぶ。右の板碑型石塔は墓石だった。



左 宝篋印塔 享保14(1729)屋根型笠の上、相輪の先の宝珠を欠いている。


基礎の正面を彫りくぼめて、縁の両脇に造立年月日。縁の右下に下落合村、左下に中里村。中央に「奉唱満光明真言二百五十万遍之供養塔」右脇に光明真言講中四拾五人、觀音經講中十人。左脇に日照山東光寺住 権大僧都法印宥瓊。残りの三面には梵字がびっしり、宝筐院陀羅尼らしい。


その隣 庚申塔 宝暦12(1762)唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


不機嫌そうな三眼の青面金剛。持物は矛・法輪・鏑矢・弓。足の両脇に二鶏を浮き彫り。


足元にうずくまる邪鬼も不機嫌な表情。台の正面に正面に三猿。両脇の猿は内を向いて座っていた。


塔の右側面に造立年月日。


左側面に足立郡下落合村 講中拾四人 助加當村中と刻まれている。


さらに参道を進むと二基の舟形光背型の石塔と角柱型石塔が並んでいた。


左 念仏供養塔 元禄16(1703)梵字「サ」の下に右手与願印、左手に未敷蓮華を手にした聖観音菩薩立像を浮き彫り。光背右脇「奉供養念佛二世安樂所」その下に落合村。


足元の部分にひらがなで多くの名前が刻まれている。


その隣 念仏供養塔 元禄11(1698)四角い台の上 舟形光背に聖観音菩薩立像を浮き彫り。


やはり右手は与願印、左手に未敷蓮華。光背右脇に「念佛供養」左脇に造立年月日。


下部両脇にこちらもひらがなで十数名の名前。右下隅に下落合村と刻まれていた。


右 大乗妙典六十六部供養塔 寛政2(1790)四角い台の上の角柱型の石塔の正面 梵字「バーンク」の下「奉納大乗妙典六十六部日本回國供養塔」上部両脇に天下泰平・國土安全。下部両脇に造立年月日。


塔の左側面 武刕足立郡下落合村。左脇に願主は個人名。


右側面には供養導師金剛山林光寺法印覺誉と刻まれている。

だいぶ長くなりました。続きは次回にいたします_(._.)_





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Last updated  2024.02.22 14:06:10
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